無関普門(むかんふもん、建暦2年(1212年)- 正応4年12月12日1292年1月3日))は、鎌倉時代中期の臨済宗。諱は玄悟。房号は普門房。諡号は大明国師。出生は信濃国高井郡保科(現・長野市)。信濃源氏井上氏の一族で、生母が越後平氏の出身であったため、越後国で養育される[1]

無関普門
1212年 - 1292年
諡号 大明国師
生地 信濃国高井郡
宗派 臨済宗
寺院 東福寺
円爾
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経歴 編集

13歳の時、越後国正円寺で出家して剃髪。塩田流北条氏の治めていた信濃国塩田荘(現・長野県上田市)の講席に列し、数年後正円寺に戻り叔父の寂円に仕えた。19歳のときに上野国長楽寺栄朝から菩薩戒を受けている。その後、関東や北越の講席を遊歴し、京都東福寺円爾(弁円)に参禅した。1251年建長3年)中国のにわたり、1261年弘長元年)に帰国するまで禅宗寺院を巡歴して参禅した。その後1281年弘安4年)に藤原実経に請われて東福寺の第三世住持となった。1288年(正応元年)亀山上皇の離宮に出没する妖怪を降伏(ごうぶく)した功により、南禅寺開山となっている。

東福寺の塔頭龍吟庵は終焉の地となった住居跡であり塔所(墓所)。南禅寺の塔頭である天授庵虎関師錬により無関普門の塔所として建立されたものである。

参考 編集

  1. ^ 『須高』68号

出典 編集

  • 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年
  • 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』 604頁 新人物往来社、1990年