片岡清一
片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月23日[1] - 1999年(平成11年)2月26日[1])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。富山県砺波市出身。
片岡清一 かたおか せいいち | |
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生年月日 | 1911年7月23日 |
出生地 | 富山県砺波市 |
没年月日 | 1999年2月26日(87歳没) |
出身校 | 東京帝国大学(現・東京大学) |
前職 | 内務省官僚 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
第49代 郵政大臣 | |
内閣 | 竹下改造内閣 |
在任期間 | 1988年12月27日 - 1989年6月3日 |
選挙区 | 富山県第2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1972年12月11日 - 1990年1月24日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1966年9月14日 - 1969年11月30日 |
来歴・人物
編集東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省。東京府属[2]。砺波市長を務めた後、1969年の第32回衆議院議員総選挙に松村謙三の後継者として旧富山2区から出馬するも落選。続く1972年の第33回衆議院議員総選挙にて初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。以後連続当選6回。自民党内では中曽根康弘派に属し、1988年12月発足の竹下改造内閣で郵政大臣に任命され、初入閣(当時77歳5か月)。同内閣の高辻正己、丹羽兵助、坂元親男とともに明治生まれの国務大臣としては最後の任命者であった。1989年6月郵政大臣を退任。1990年政界引退。
栄典
編集脚注
編集
公職 | ||
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先代 中山正暉 |
郵政大臣 1988年 - 1989年 |
次代 村岡兼造 |
先代 大井敏雄 |
富山県砺波市長 1966年 - 1969年 |
次代 川辺俊雄 |
議会 | ||
先代 宮崎茂一 |
衆議院法務委員長 1984年 - 1986年 |
次代 福家俊一 |
先代 橋口隆 |
衆議院内閣委員長 1983年 - 1984年 |
次代 中島源太郎 |