牟田口元学
日本の実業家・官僚 (1845-1920)
牟田口 元学(むたぐち げんがく、1845年2月2日(弘化元年12月26日) - 1920年(大正9年)1月13日)は、明治時代の鉄道経営者・事業家。号は鷹村。
経歴
編集佐賀藩士牟田口利左衛門の長男として生まれる。成長の後戊辰戦争で官軍に従事し功績を認められ官吏になる。明治維新後工部省、文部省、農商務省などに出仕するが、大隈重信の明治十四年の政変に伴って下野を強いられ、立憲改進党の掌事となる。
その後、東京馬車鉄道の社長を歴任。同社は1900年(明治33年)に東京電車鉄道と改称され、1906年(明治39年)には東京電気鉄道、東京市街鉄道と合併して東京鉄道となる。1911年(明治44年)に市営化(東京市電)されるまで経営に敏腕を振るう。このほか播但鉄道、小倉鉄道などの私鉄だけではなく、大正瓦斯や日清生命の経営にも参画した。1916年(大正5年)10月5日には貴族院議員に勅選された[1]。
そのほか
編集脚注
編集- ^ 『官報』第1256号、大正5年10月6日。(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考資料
編集- 『朝日日本歴史人物事典』
ビジネス | ||
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先代 (新設) |
朝鮮軽便鉄道社長 1916年 - 1919年 |
次代 小野金六 朝鮮中央鉄道取締役会長 |
先代 園田実徳 |
函館水電取締役会長 1917年 - 1919年 |
次代 藤山雷太 |
先代 三浦泰輔 専務 |
小倉鉄道取締役会長 1915年 - 1916年 社長 1911年 - 1915年 |
次代 伊地知壮熊 社長 |
先代 (新設) |
朝鮮瓦斯電気取締役会長 1913年 - 1915年 韓国瓦斯電気取締役会長 1910年 - 1913年 |
次代 香椎源太郎 |
先代 (新設) |
東京鉄道社長 1906年 - 1909年 |
次代 千家尊福 |
先代 谷元道之 |
東京電車鉄道社長 1900年 - 1906年 東京馬車鉄道社長 1891年 - 1900年 |
次代 (東京鉄道に統合) |
先代 藤田高之 |
播但鉄道社長 1894年 - 1895年 |
次代 鹿島秀麿 |
先代 中山信彬 |
壬午銀行頭取 1884年 - 1888年 |
次代 肥田昭作 |