堀 直央(ほり なおなか、貞享5年9月18日1688年10月11日) - 寛保2年6月20日1742年7月21日))は、江戸時代中期の大名で、越後椎谷藩第2代藩主。椎谷堀家5代。椎谷藩初代藩主・堀直宥の長男。母は桑山一玄の娘。正室は津軽寧親の娘。子は堀直旧(長男)、堀直述(次男)、松井旧氏(三男)、本多直嗣(四男)、娘(武田信村正室)。通称は三四郎。初名は直時。官位は従五位下、飛騨守。

正徳元年(1711年)、父の死により家督を相続した。正徳5年(1715年)に陣屋を字打越に移転した際には、入国して総指揮をとった。同年、後嗣を弟の直恒と定めた。享保5年(1720年)、直恒に家督を譲って隠居した。寛保2年(1742年)に死去した。

系譜

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父母

正室

子女