Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル

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最新のコメント:19 年前 | トピック:導入部で作品名に『』をつけるか | 投稿者:Yas

過去の議論

和暦と西暦について

和暦と西暦の使い分けについて、現在の記述「日本史には和暦と西暦併用、世界史には西暦」という基準はよろしいかと思います。現代の記述については、どうしましょうか。たとえば、平成13年は2001年にリダイレクトされていますので、西暦優先の方がよいかもしれません。実際は和暦と西暦どちらでも可ということでもかまいませんが、その旨の記述がほしいと思います。
また、和暦と西暦併用の場合にしても、書き方の例があるとよいと思います。「[[2003年]](平成15年)[[11月7日]]」でよいですか。全角括弧も含めて。 Yas 03:12 2003年11月7日 (UTC)

ちょっと困っています。西暦を優先するというのは賛成です。ただ、双方を併用する際に、例えば明暦3年1月18日は西暦に直すと1657年3月2日だったと思います。このような場合、年月日に日付のリンクを単純に貼ってしまうと著者と読者で認識の違いが生まれ、誤解を招いてしまうのではないでしょうか。konishi 01:53 2004年4月6日 (UTC)
1657年3月2日(明暦三年一月一八日)というように、太陽暦採用以前の和暦の記述に漢数字を用いたら良いのではないでしょうか。平 誠 02:18 2004年4月6日 (UTC)
旧暦の日附について1月18日 (旧暦)といふやうなページを順次作成してをりますので、こちらにリンクをして戴けると幸ひです。なほ、旧暦の日附を漢数字で書くと云ふのは、konishiさんが心配されてゐるやうに、旧暦の日附を新暦の日附のページにリンクしてしまふと云ふことが多発してゐたため、それを防ぐ目的で始められたものです。できれば算用数字を使用した方が見易いと思ふのですが、どうでせうか。nnh 02:25 2004年4月6日 (UTC)
明暦3年1月18日と書けばよいわけですね。助かりました。よく探せば記事名の付け方にも載っていましたね。konishi 04:55 2004年4月8日 (UTC)

「読み」のつけ方のルール

記事の書き出し部分の記事名につける「読み」についてのルールを、スタイルマニュアルの「記事の導入」 に加筆しようと思ったのですが、あそこに挙げられている例が、「ピタゴラスの定義」「ドラえもん」「水酸化ナトリウム」なので、はて、この場合はどうするのか?と、ちょっと困ってしまいました。

  • 全文字が漢字、または、ほとんどが漢字(例えば「大化の改新」)の場合は、記事名全部をひらがなにして、ボールドにした記事名の直後に、全角括弧内に入れて記述する。
  • 一部に漢字が入っている場合
    1. 記事名全部をひらがなにして、ボールドにした記事名の直後に、全角括弧内に入れて記述する。例 - 水酸化ナトリウム(すいさんかなとりうむ)とは、
    2. 漢字の部分のみをひらがなにして、ボールドにした記事名に挿入する形で、漢字の部分の直後に、全角括弧内に入れて記述する。 例 - 水酸化(すいさんか)ナトリウムとは、
    3. 記事名のうち、カタカナはそのまま、漢字だけをひらがなにして、ボールドにした記事名の直後に、全角括弧内に入れて記述する。例 - 水酸化ナトリウム(すいさんかナトリウム)とは、
  • 漢字が入っていない場合
    1. 記事名全部をひらがなにして、ボールドにした記事名の直後に、全角括弧内に入れて記述する。例 - ドラえもん(どらえもん)とは、
    2. 読みがなをつけない。ただし、索引生成のため <!--(どらえもん)-->をつけておく。
  • 全てひらがなの場合、読みはつけない。この場合、索引生成用に、<!--(なぞなぞ)-->は必要なのか?

なお、読みの部分をボールドにするか否かについては、井戸端の議論がまとまるのを待ちます。(ボールドにする場合、読みの前後にある全角括弧もボールドにするのか否かも決める必要があると思います。)

***
前回の投稿、署名を入れ忘れてましたね。すみませんでした。
読みについてのルールの追加案です。読みに、中黒を入れたら読みやすくなるのではと思うのですがどうでしょうか? 例えば、こんな感じです。

興亜奉公日(こうあほうこうび)とは、・・・
興亜奉公日(こうあ・ほうこうび)とは、・・・

なお、人名の方では、(読みについては)半角スペースを入れることで確定してるようです。参照。これに従うと、こうなります。

興亜奉公日(こうあ ほうこうび)とは、・・・

oxhop 19:37 2004年2月6日 (UTC)

漢字の並びの中に、暗黙の区切りがある場合には、読み仮名に何かしらの区切りを入れて良いと思います。ひらがな、カタカナは、立て続けに書くと判りづらい部分がありますので。区切り文字は、私は個人的には、区切りだと判る文字なら何でも構わないと思ってはいるのですが、中黒(・)の使用は好みの分かれる部分ですので、一番無難なのは半角スペースかと思います。
P.S. 人物伝の方も、「確定した」というよりは「一まず落ち着いた」という感じだと思いますので、もし今より何かもっと良い案が閃いたなら、いつでも提示して構わないと思います。a perfect fool 23:03 2004年2月6日 (UTC)
問題提起ありがとうございます。実際によみを入れてみて気づいた点を追加しておきます。
  • 京王8000系電車は「けいおう8000けいでんしゃ」か「けいおうはっせんけいでんしゃ」か →索引で自動整列させようとすると数字を使うほうが良い
  • アルファベット略語も単純なもの以外は読みを書く:DOS/V(どすぶい)、MPEG(えむぺぐ)
  • 外国語記事名は一般的なカタカナ表記を書く。但しもっぱら略語で使用される場合は必ずしも無くても良い:Transistor-transistor logic→TTL(てぃーてぃーえる)
+索引目的はいいとして、専門でない人が百科事典を利用する場合、読み方を必要とする場合もあるので、やはり読みは必要でした。
  • 和欧混在でもアルファベット部分は読み不要:国鉄EF66形電気機関車(こくてつEF66がたでんききかんしゃ)
とりあえず思い出したものだけ書きました。sphl 23:07 2004年2月6日 (UTC)+追記sphl 23:52 2004年2月6日 (UTC)

既に、指摘されていたらすみません。複数の読みのあるものはどうすればいいんでしょうか。漢字ものやアルファベットものなどには、複数の読みがあるものがあると思います。さしずめ記事の中だけで考えればもっとも一般的なものだけ選べばよさそうですが、検索の便や特に索引の自動生成を考えると、何かルールがあった方がいいような気がします。例:Mozilla Firebirdこれは、日本の正式な読みを定義する人のまだいない固有名詞で、かつ特定の読みが十分に一般化したものでもなく、しかし記事名としてはたぶんローマ字が良さそうな記事です。読みとしては「ファイアーバード」「ファイアバード」「ファイヤーバード」etc多数考えられます。Kozawa 00:44 2004年2月7日 (UTC)

Mickey.Mさんの作成された索引は、記事の先頭段落(文?)の最初にでてくる()内のかなを拾っていたと思います。自動的に複数のよみを取得するのは難しそうですね。読みのタグを決めて用いれば拾えるでしょうけれど。複数の読みをもつ記事がどれくらいあるか知りませんが、少数であれば手作業ということも考えられます。現在の索引を手作業でメンテしていることを考えると、許容範囲かとも思います。(これはいつまでもそういうわけには行かないと思いますが)。
どの読みを先頭に持ってくるかは個別に議論するしか無いでしょう。モノによっては揉めることもあるでしょうがそれはそれとして。あと、検索の場合は「読み」という属性を意識しませんので順番は影響なしだと思います。
将来的には日本語版に「読み」タグを導入できると良いですね。そのときには複数読み対応を希望するということで如何でしょう。sphl 02:19 2004年2月7日 (UTC)
読みのタグ、ですか…??
HTMLで読みを定めるなら<ruby>要素ですが、これは複数の読みの制定に向きません。
Wiki構文でどうにかするしかない問題ですが、リンクとも違うということで、ウィキペディアでのみ通用する構文となりますが、議論となるのは必定です。(表示するなら、読み1/読み2とでもなって、こちらは特に起こらないのでしょうが。)
また、kozawaさんが例にあげたMozilla Firebirdですが、Fireの読みと考えられる"ファイアー"、"ファイヤー"のアーかヤーか、また長音記号のあるなしは、日本語の性質上、また表記上でも混同されやすく、複数挙げるのが妥当なのか定かではないと思います。kzhr 02:38 2004年2月7日 (UTC)
読みタグの導入は今の時点で名案があるわけでも無いので、現時点では要不要を含めて先送りで良いと考えています。ただ、いろいろな日本語のデータベースでは整列や索引を考慮して「よみ」フィールドを含めることが一般的に行われてるので、百科事典であるWikipediaにも(機能的に同等のもの:読みを機械的に分離できる記述方法が)あると良いなとは思います。もちろん、現行の()の書き方をより厳密に定めてそれを徹底されれば良いということかも知れません。sphl 02:49 2004年2月7日 (UTC)

索引の自動生成という観点から、意見を。

  • 平仮名と片仮名の相互変換は簡単に実装できるので、特に問題視する必要はありません。「ドラえもん」「どらえもん」「ドラエモン」は同一視できます。
  • 英数字のみの記事名に関しては、現在は索引 Aのような形で索引化されているので、索引化するためだけのために読みをつける必要はありません。また、英数字だけの名称に、それの一般的な読み方があって、読みをつけたほうがよいと考えられる場合、「読み」から「英数字だけの名称」にリダイレクトされていることが多いですし、実際、リダイレクトをつくるべきです(例: Apple は、アップルからリダイレクトされています)。こういう場合は、「片仮名だけのリダイレクト」を「参照先の読み」とみなせば、索引の自動生成には問題ありません。

索引の自動生成にこだわって、記事の可読性を下げるのは得策ではないと思います。むしろ、「どのように表記すれば読みやすいのか、便利になるのか」という観点で話し合う方がいいと思います。Ojigiri 07:38 2004年2月7日 (UTC)

皆さん、ご意見ありがとうございます。整理しますと、

  • 索引生成に関しては、将来の「読みタグ」または「読みフィールド」導入に期待することにして、今回は配慮しない。
  • 読みがなの文字数が非常に多くて見づらい場合は、半角スペースを入れて可読性を上げる。中黒は、記事名に入っていない限り入れない。
  • 全文字が漢字、または、ほとんどが漢字(例えば「大化の改新」)の場合は、記事名全部をひらがなにして、ボールドにした記事名の直後に、全角括弧内に入れて記述する。
  • ひらがな、カタカナだけの場合、読みは不要。
  • 英字だけの場合、特殊な読み方をする場合のみ、読みをつける。例えば、NTTは不要、DOS/Vは必要。このルールが明らかであれば、専門でない人にとっても問題ないと思います。

ここまでは、これで決定していいと思います。以下、疑問、提案などです。

  • 半角スペースについては、あまりブツブツに切られてもかえって読みづらくなるだけなので、一応の目安として、多くて2つを限度としておくべきでは?
  • 漢字の中に英数字が入る場合も、特殊な読み方をするのでなければ、仮名にする必要はないかもしれませんが、ふと思ったのですが、例えば、国鉄EF66形電気機関車は「ろくじゅうろく」と読むのか、「ろくろく」と読むのか、どちらなのでしょう?
  • Kozawaさんが例として挙げられた「ファイアー」「ファイア」「ファイヤー」というような、表記の揺れの問題は、リダイレクトで解決するのが最適だと思います。ただ、あらゆる表記について、リダイレクトページを作るのも問題かと思いますので、検索語としての使用頻度の高いものを2つか3つ作っておけばよいのではないでしょうか(検索エンジンのヒット数が参考になるかと)。
    以上は、検索のための複数の読み方についてですが、これとは別に、例えば「日本」のように、通常、検索語としては「にほん」とか「にっぽん」は使われず、純粋に読みの表記だけが問題となる場合、どのように表記するのかは決めておく必要があると思います。
     日本(にほん、にっぽん)は、
    という形式で、問題ないと思いますが、何か他にありますか?
    どちらを先にするかは、よりポピュラーな方を先にすべきですが、この例のように、どちらがポピュラーかはっきりしない場合は、投稿者の好きな順序でよいと思います。
  • 水酸化ナトリウムの例ですが、3番目の
     水酸化ナトリウム(すいさんかナトリウム)とは、
    が一番読みやすく、また、見出し語の直後に入れるというルールに統一した方が、規則がシンプルになって分かりやすいと思いますが、どうでしょうか?
    oxhop 11:52 2004年2月8日 (UTC)
ゴールデンラズベリー賞夜のヒットスタジオ浦和レッドダイヤモンズ日本プロサッカーリーグデンソーサッカー部などのほとんどがひらがな、カタカナで漢字が少しだけ含まれる見出し語の読みについて結論が出ていないと思うのですが(実状も、バラバラ。)、私は、ゴールデンラズベリー賞(-しょう)という表記が冗長でなく必要十分なので望ましいと思います。辞書などでもこのような書き方が多いような気がしますので。kaz 2004年9月13日 (月) 11:31 (UTC)返信
(同意)片仮名・平仮名をあらためてすべて書くのは冗長。(ましてボールト体にされては非常に見にくい!!)ただし、「非ユークリッド幾何学」などをどうするかは悩むところです。 --忠太 2005年2月26日 (土) 02:43 (UTC)返信
他の文字と同じ太さのハイフンは、重複の省略を表す記号として使用するには、わかりにくいように感じます。辞書だと、 ゴールデンラズベリーしょう【━賞】 って感じで、全角(またはそれより長め)の太い棒を使ってると思うのですが、このスタイルはどう思われますか? これだと手間がかかりそうですが。あと、何文字の場合に省略記号を使って何文字の場合に全部ひらがなカタカナにするのかというところも決める必要がでてきますよね。oxhop 2004年9月13日 (月) 13:38 (UTC)返信
ざざっといくつか見てみたところ、漢字1文字であれ、全部、ひらがなカタカナになってるのが多いように感じます。確かに冗長かもしれませんが、これで良いように思います。oxhop 2004年9月13日 (月) 13:51 (UTC)返信
一応、念のため書いておくと文字の太さなんかはフォントに依存します。ただ、日本語の書物の習慣だと省略は―(ダッシュ)なんかが良いのでしょうか。━は罫線記号か何かでしょうか?もしそうならそれは止めた方がよい気がします。それとそもそも「読み」としてつけている目的から考えてほしいですね。kaz 2004年9月13日 (月) 16:57 (UTC)返信

別名を併記する場合

正式名称と通称を併記し、リンクを作成する場合はどのようにするのが適切でしょうか? (例:四国八十八箇所より)

  1. 弘法大師空海
  2. 弘法大師(空海)
  3. 空海弘法大師
  4. 空海(弘法大師)

空海/弘法大師の場合、弘法大師は REDIRECT で、空海が記事名になっています。 他の記事においてもこのような事例は多いようです。 baffclan 09:13 2004年2月23日 (UTC)

重複リンクは読者に不親切です(期待してクリックしたら同じ記事だった、ということになるので)。よって最後のが良いと思いますが、過去の記事名変更の結果や、自然な記述を重視して2のようになることは許容しても良いと思います。sphl 09:25 2004年2月23日 (UTC)
私も、リンク先が結果的に同じなのであれば括弧の中にまでリンクを設ける必要は無いと思います。ただ、いずれ記事化が欠かせない赤リンクで、どちらを記事名にするかはっきりしない様な場合には、念の為に両方ともリンクを付けておいて構わないとは思いますけれども。a perfect fool 18:26 2004年2月23日 (UTC)


リンクについて

リンクは一つで十分だというが、それは変えた方が良いと思う。たしかに、短い記事で頻繁にリンクがあると良くないかもしれない。しかし、長い記事だとどうか。長い記事だと最初の方にリンクがあり、後ろの方にはリンクが無いことが多い。そこで、リンクについての皆さんのご意見を伺いたい。--220.147.140.20 2004年7月13日 (火) 08:36 (UTC)返信

「ひとつの記事でリンクはひとつの原則」に反対です。以下は、特に一画面に収まらない記事についての案です。
  • 必要に応じて: 究極的には臨機応変でいいと思います。まぁ、それでリンクが増えるとダメだろう、って話でしょうけど……
  • 意味的に: 「一つの見出しの中にひとつくらい」。見出しの規模は「===(level3)===」あたりでしょうか。
  • 見やすさから: 「1ページにひとつくらい」。どんな1ページかは適当です。
  1. 1024×768か、800×600のディスプレイ
  2. Internet Explorerの文字サイズ中
くらいでしょうか。-Marsian 2004年7月13日 (火) 10:21 (UTC)返信
基本的には「リンクは一つに限らない」に賛成です。殊に「1ページにひとつくらい」には賛同します。ただ小生は Macintosh+Safari 派なので IE を基準にすることには反対します。(^_^)
尚、この議論のきっかけとなった一連の記事(三国時代五斗米道黄巾の乱十常侍中常侍献帝 (漢)廃帝弁 (漢)など)では二行に三つ同じリンクが貼られるなどちょっと異常でした。それから、ここなりどこなりで、方針が変更されるまでは「現行ルール」に従って下さるようお願いします。> 220.147.140.20martin 2004年7月13日 (火) 14:02 (UTC)返信
IEと言ったのは適当です。飽くまで「こんな感じかな」という程度で書きました。かつて自分もMacを使っていました。 - Marsian 2004年7月13日 (火) 14:28 (UTC)返信

特に目立たせたいリンクがあるのなら「関連項目」として最期にまとめておけばいいでしょう。本文内で何度もリンクがあったって読みにくいだけです。NiKe 2004年7月13日 (火) 14:47 (UTC)返信

「関連項目」はいい考えだと思います。しかし、八王子市のような非常に長い記事の真ん中あたりだけ読む、という使われ方もありえるのではないでしょうか。個人的には長すぎることの方が問題かとも思いますが(中小項目主義?)。なお「1ページにひとつくらい」は「最大でも」というつもりで書きました。Marsian 2004年7月13日 (火) 15:13 (UTC)返信
では、この案はどうでしょうか?
短い記事のリンクは一つにする。
長い記事は始めの方にリンクを貼り、最後の方に再度出てきた場合もう一度リンクを貼る。
「関連項目」については本文中に出てこないが、その事柄に関連するときに使い、本文中に出てくる場合は本文中のリンクからほかのページに飛んでもらう形を採りましょう。--220.147.140.20 2004年7月15日 (木) 03:52 (UTC)返信

個人的には臨機応変にやっていて、セクションをつくらなくてすむくらいの短い項目では一つですが、長い項目の場合は各セクションで初出のときにリンクさせています。例えばテロメア生物学では語によっては複数回リンクさせています。電気山羊 2004年11月16日 (火) 05:33 (UTC)返信

関連項目について

  • 関連項目は本文中には出てこないが、その事柄と関係するものについてのリンクである。ところが、本文中に出てくるものまで入っているものもあるのでここに、議論の場を設けたいと思う。--China 2004年8月30日 (月) 11:37 (UTC)返信
私は、本文中と関連項目とで重複してるものは、消してます。oxhop 2004年9月13日 (月) 13:54 (UTC)返信
私も消しています。-Suisui 2004年9月13日 (月) 14:04 (UTC)返信
関連項目で繰り返すことそのものに何か問題があるでしょうか?問題は繰り返すことでなく、関連項目が膨大になって見づらいことだと思っていましたが。「本文中にあるのだから」と言っても、「本文のどこにあるか読者が探す必要がある」(で、見落としていたら関連が深いリンクだとしてもたどり着けない)ので、場合によっては重複してもいいと思います(むしろ本文中のリンクを外して関連項目にまわした方がいい、ということにもなりうるような←なんかこれは変だと思うんですがうまく表現できません)。ただ、その「場合」について、これという良い案がないのですけれど……。「検索があるだろう」という反論が予想されますが、あらかじめキーワードを知らないこともありうるのでは。
上でも似たようなことを言っていますが、「wikipediaは関連文書へのアクセスが悪い」という印象が強いので、「あっても無害か害が小さい」ならばあったほうがいいかなという考えが基になっています。何か、本当は大きな害があることなんじゃないかという気がしてきましたが……。 -- Marsian 2004年9月13日 (月) 14:19 (UTC)返信
百科事典なので、本文中で触れられることには触れればよく、関連項目はそれほど必要になるものではないと考えています。関連文書へのアクセスが悪いのは、ひとえにひとつの項目の中できちんと周辺事情を説明した記事にできていないことが原因ではないかと思います。惑星にホルストの惑星が関連項目に上がるなど、全く別分野のオマージュや本家どり的関連項目ならばよいのですが、そうでないものは本文中でどのような関係なのかを述べたほうが親切ではないかと思います。--Suisui 2004年9月13日 (月) 14:27 (UTC)返信
素早い返事ありがとうございます。「本文中でどのような関係なのかを述べたほうが親切」、その通りだと思います。それは前提としまして、それでも必ずしも削除が適当でない場合もあり得るのではないかと(後述の例など)。
ぼくが想定しているのは意味的なことでなく見やすさについてでした(よく考えると環境に依存するんですが……。凄く小さい文字で表示していたらあまり問題にならないかも)。上に書いたことの繰り返しになってしまいますが、「文書が長い場合」を想定しています。
(例)たとえば、アメリカ合衆国軍がかなり長い(10回くらいスクロールするような)記事になったとして、冒頭に「……軍、海兵隊からなる。他に……」などとリンクがあるとします。これをサラッと読み過ごした場合、ず~っと読んでいって、最後に「==関連項目==アメリカ合衆国陸軍 - 海軍 - 空軍 - 海兵隊……」とあったら、「おっ、」っと思ってそっちも見てみようかな、となるんではないかと。これが関連項目なしですと、たぶんそこで終わりかなと。
……と、ここまで書いておいてなんですが、別にwikipediaに読者を引き留めること無いんですよね……(最後の方には外部リンクもあるし)。いや、その、なんていうか、wiki内の資料「にも」アクセスできたら便利かなー、と……(苦しいかも)。 -- Marsian 2004年9月13日 (月) 15:15 (UTC)返信
関連項目というのはあくまで本文中にないが、その事柄に関連するものを集めたリンク集です。--China 2004年9月14日 (火) 09:38 (UTC)返信

関連項目にあげるのは、どの程度の関連性があるものまでにするのが適切でしょうか? 本文中に登場しない時点で関連性は低いと思われるので、その関連性が低いものをずらずら並べても仕方ないと思いますし。 文脈上、本文に組み込みにくいという場合もあるとは思いますが、むしろ、本文を手抜きして関連項目を並べてお茶を濁しているケースが多々あるような気がします。

関連項目に並べてよい基準を緩くしていると、本文の充実を遅らせるという望ましくない効果があるのかもしれません。kaz 2004年9月14日 (火) 11:33 (UTC)返信

~の一覧を関連項目に入れましょう。--China 2004年9月16日 (木) 07:44 (UTC)返信

小生も個人的にMarsianさんの説に賛同します。各リンク間の階層構造を用いた上で「記事本文にもあるリンクを関連項目にも記述する」という、多少の冗長性を含むのは百科事典の性質上、事象等の因果関係を辿る上で(読者にとって)有益な手法だと思います。とはいえ無制限にダラ々と書き綴られても見る側としてダレますので、一定ラインの基準は必要だと思いますが。そのため、僭越ながら本文中と関連項目で重複する記事リンクの取り扱いに関して以下を提案します。

  • 直接的に含むまたは含まれる概念・事象・存在・グループの重複は可
例(アメリカ軍における海兵隊)や(オムレツにおけるフライパンケチャップ
  • 二次的・三次的に含むまたは含まれる概念・事象・存在・グループの重複は要検討(項目立って整理が成されていなければ不可)
例(パソコンにおけるゲームソフトWindows/MacOS)や(野猫におけるイリオモテヤマネコ環境保護
  • 単に関係する事象等の重複は不可
例(官僚における不祥事汚職)や(おたくにおける機動戦士ガンダム

ご意見宜しくお願いします。--夜飛 2005年1月12日 (水) 05:44 (UTC)返信

  • 「直接的に含むまたは含まれる」ような関係は、通常は定義部で分かりやすく記述されるべきであり、関連項目には必要ありません。
  • 階層構造や並立関係などを表したい場合は、Category機能やTemplete機能、~の一覧、などを活用することで十分に対応できます。これらを使用する利点もあります。各々の記事に個別に関連項目として記す場合のメンテナンス性が非常に悪いのに対して、一括管理したり、自動化したりすることができます。

kaz 2005年1月12日 (水) 13:39 (UTC)返信

Category機能やTemplete機能に関してですが、記事執筆側にとっては必ずしも求めるカテゴリーが存在しないカテゴライズが既に氾濫していて、それらの構造調査が一執筆者の手に余るという現象が起きている気がします。勿論、それを理由にダラ長い関連項目を列記しまくるのは執筆者の怠慢や逃げでもあるんですが、(無駄に長い関連項目の列記は別の問題として)逆に云えばそれらはカテゴライズに詳しい執筆者さんに譲るという格好で、暫定的な意味での関連項目階層化もアリなのではないでしょうか。単純に関連項目の重複は不可と削ってしまうだけではなく、カテゴライズ作成の検討も含めて、関連項目を整理していくようにしないと、読者さん側が記事中で右往左往しそうにも思われますが如何な物でしょうか。--夜飛 2005年1月13日 (木) 04:25 (UTC)返信

本文中に分かりやすく記述してそこからリンクを張っておいた上で、さらに末尾の関連項目にも記載されていれば(特に本文が長くてリンクが見つけづらいような場合に)便利だというはなしでいいのですよね? 重複していて困るのは、関連項目が多くなりすぎてしまってもう少し精選したいといったときでしょうか。そういうケースは個別に、その項目に詳しい方々で読者の便宜を気に留めながら判断すればよいかと思います。- Kk@「Wiki Way」紹介中 # Marsianの書かれた通りですね。

賛成。特に「ぜひこの項目は合わせて参考にしてほしい」という項目については、関連項目に記述するのが望ましいと考える。本文中にリンクがあるからといって、勝手に消す人がいるが止めてほしいものである。 --忠太 2005年2月24日 (木) 15:51 (UTC)返信

私も、長大な記事であれば関連項目に再掲するのは読者の便宜になると思います。また、一つ一つの節がそこそこの分量を持つような場合、それぞれの節で繰り返しリンクを張るのも、読者にしたら便利であると思っています。元々、リンクは1回が原則、というのはen Manual of Styleの2003年1月くらいの版に基づいているかと思いますが、そこでは本文中のリンクを“Free Link”、最後に置くものを“Related Topics”として分けて考えているんですよね。私はこの考え方が妥当だと思います。--sketch/ 2005年1月12日 (水) 15:21 (UTC)返信

「よみ」はボールドか否か

「よみ」をボールドにすべきか否かという議論で最新のものはWikipedia:井戸端の過去ログ/2004年6月#読みについて4で、これを読むとおそらくボールドにしないというのが結論のように思いました。しかし今のところ本文には明記されていないので3日ほど待って特に反応がないようなら、ボールドにしない旨を本文に明記します。読みは補助的なものであるため、強調する必要はないという考えから個人的にはボールドにしないのに賛成です。特に統一すべきという強い主張があるわけではないのですが、これだけを修正する人もいて、どうも気になったので。電気山羊 2004年11月16日 (火) 05:33 (UTC)返信

ええと、反対です。前回の議論(ご提示のリンク先)で、結論が出たように見えますか? 皆さんがいろいろな案を出して、特にまとまらず議論は発散したという状況だと認識しています。ずっと以前から引き続いている、まとまりにくいテーマだなあと思っています。しかしながら、これを機会に電気山羊さんが、改めて合意へ向けて音頭取りをして頂くというのであれば、それもよいかもしれません。Yas 2004年11月16日 (火) 23:57 (UTC)返信
コメントありがとうございます。当時フォローしていなかったのですが、結局まとまっていなかったのですね。まとまりにくいのはこれがクリティカルな問題ではないためかなと思いました。既に書いたようにそれほど強い主張をするつもりはありません。ですがどちらかに決まっていた方が良いとも思います。ここは過去の議論からそれぞれの長短を抜き出して提示し、しばらく意見を募った後、投票による多数決でどうかと思いますが、いかがでしょうか(それ以前に合意が形成されればそれでよいですし)。ちなみに Yas さんはどのスタイルを支持しますか?電気山羊 2004年11月17日 (水) 00:17 (UTC)返信
こんにちは。以下全て個人的な意見です。私自身は「ボールドにする」方を好んでいます。ただ、議論の経緯を見ても、どちらかにすべきという説得力の強い理由が無いように感じており、現状のまま「統一の必要はない」が現実的な結論だと考えています。「統一したい」という合意形成がされ、どちらかの案に合意形成がされるのであれば、統一もよいと思います。最近の管理者立候補に関する投票では、「合意形成」とは「四分の三、最低10票」とするという結果になったようです。単純に「過半数」とするのではなく、このくらいの「合意形成」であれば統一に納得なのですが。Yas 2004年11月17日 (水) 15:53 (UTC)返信
僕はどっちでもいいと思う。ただ特に決まってないものに関してはそこだけを変更する編集は非推奨みたいな文言があってもいいかなとは思いますが。yhr 2004年11月17日 (水) 16:30 (UTC)返信
人物に関する部分ではボールドで書くように例があります。ですから、私はそれにしたがってボールドにしていました。人物とそれ以外について区別するのか、それともボールドにしないことを基本方針として既存の人物についてもボールドをやめるのか、はっきりしたほうがいいかもしれませんよ。0null0

こんにちは。たとえば、'''時'''('''とき''')は、音声ブラウザでは、「とき、とき」とどちらも強く発音されます。片方は読みであることを示したいときは、強調はなしにするか、弱い強調にするほうが良いと思います。また外来語であるときは、'''セーフ'''(''Safe'')と、普通名詞なら軽い強調、固有名詞なら強い強調と私は使い分けているのですが、いかがでしょうか。:)Ligar 2004年11月17日 (水) 16:41 (UTC)返信

音声ブラウザですか。これはまた新しい問題というか課題ですね。0null0 2004年11月17日 (水) 16:48 (UTC)返信

個人的にはボールドにしないのが好みですが、どちらでもよいと思っています。ただ、クオリティを考えれば統一するのが望ましいでしょうね。Ligar さんが挙げた問題などを考えても、読みをボールドにするのはあまりよろしくないのかなと思います。なお Yas さんのご発言ですが、合意形成を3/4というのは誤解だと思います。単純多数決でも合意形成には違いありません。ただ、管理者の信任に対しては 3/4 以上の賛成をもって信任の閾値とするというだけのことでしょう。これにしても全会一致方式に比べれば合意形成の仕方としては弱いわけですし。用はことの重大さと合意の形成しやすさ(意見の割れ方)によって適切な値を設定すればよいかと。読みの振り方についてはいろいろな流儀があるようなので、3/4 というのは難しいのじゃないか(音声ブラウザへの対応など、技術的な理由でなにか決定的な差異がない限りは)と思いますが、いかがでしょう。投票を行うならこうした読みの書き方によって生じる効果についてもう少し情報が欲しいところですね。--Aphaea* 2004年11月17日 (水) 17:02 (UTC)返信

コメントありがとうございました。つまるところ好みの問題によるところが大きいように思いました。蒸し返した当人の意見としてはあまり適切ではないかもしれませんが、私のスタンスは yhr さんに近いように思いました。好みとしてはボールドでない方ですが、統一しなくてはならないと強く思っているわけでもありませんし、加筆や推敲なしに「よみ」スタイルの統一作業のみをするつもりもありません。ただし Aphaea さんのおっしゃるようにウィキペディア全体としては統一してあった方がよいと思いますし、 0null0 さんのいわれるように指針は明確にした方が良いとも思います。ボールドか否かはクリティカルな問題ではないですが、「よみ」はほとんどすべての項目にある基本的なものですから、そのスタイルは小さな問題ではないということができると思います。ということでかなり回りくどい主張になりましたが、統一することを提案します。Yas さんのおっしゃるように、まずは統一するか否かについて合意を形成してはどうかと思いますがいかがでしょうか。ちなみに Ligar さんの弱い強調を使う案は一理あると思いましたが、万人に向けたルールはできるだけシンプルな方が良いかなと思いました。電気山羊 2004年11月18日 (木) 01:06 (UTC) p.s. セクション名を変えました返信

読み仮名をボールトにされるのは気持ち悪いので、ぜひともやめてほしいと思います。 --忠太 2005年2月25日 (金) 16:13 (UTC)返信

韓国・朝鮮関係人名の日本語読み

Wikipedia:井戸端#韓国・朝鮮関係固有名詞の日本語読みからの移動です。まずは人名に関しての合意を図るため、セクション名を「韓国・朝鮮関係人名の日本語読み」とさせていただきました。すでに合意が取れた範囲としては

  • 韓国・朝鮮語読みは表記する
  • 日本語読みも「確立した日本語読み」がある場合、何らかの方法で併記する

主な論点は以下のようになっております。

  • 日本語読みを定義内に書くか、定義の後に付け足して書くか
  • 「確立した日本語読み」はどのように確認するのか
  • 日本語読みをやめだしたのはいつごろか(日本語読みを併記する際の目安として必要)

(以上、mochiさんの発言を参考にしました)

私Cinnamonは、

  • 定義の後に付け足して書く方式を支持
  • 従って「確立した日本語読み」に関して本文内に記述者に簡単な説明を求める
  • デジタルに判断することは不可能なので、日本語読みをやめだした時期に関しては定義を求めない

以上のような立場をとります。Cinnamon 2004年11月26日 (金) 15:06 (UTC)返信

  • この問題は韓国の反日感情や日本の嫌韓感情が絡んでイデオロギー的な様相を呈することさえあるので、ウィキペディア日本語版としてのガイドラインを確立しておくことがとりわけ重要であると考えます。ウィキペディアの中立性の原則を勘案して一応、次のような私案を作ってみました。
  1. 韓国・朝鮮(以下、韓国と省略)の人名については現代のものは韓国語を主とし、日本語読みを従とする。歴史的な人名については漢字文化圏としての特性から日本語読みを主とし、韓国語読みを従とする。両方の読み方が存在する場合、一方の読み方を排除すべきではない。またハングル表記、文観部式ローマ字表記等も併記することが望ましい。
  2. 項目名については漢字が判明している場合は漢字表記とするが、[[ベ・ヨンジュン]]、[[ケー・スンヒ]]のように漢字が判明していてもカタカナ表記のほうが有名になってしまった場合はカタカナ表記でも構わない。[[朴セリ]]のような固有語名称はもちろん、漢字式の人名であっても、漢字が判明しない場合はカタカナ表記をタイトルとすることができる。
  3. 現代とはいつかという問題については一応、韓国独立後とするが、植民地時代から活躍している金九は「キム・グ」と読む例もあるので、植民地時代はグレーゾーンとする。Trek011 2004年11月27日 (土) 03:17 (UTC)返信

Trek011さんとは少し歴史的な人名についての見解を異にするのですが、ご意見を参考に私案をまとめてみました。(利用者:Cinnamon/韓国・朝鮮関係人物伝スタイル私案)不足や異論がありましたら、直截におっしゃってください。Cinnamon 2004年11月29日 (月) 22:59 (UTC)返信

  • スタイル私案拝見しました。歴史的な人物でも韓国語読みが主で日本語読みが従ですか。高句麗の広開土王を「コグリョのクァンゲトワン」といても理解できる日本人は少ないと思いますが、日本語読みも併記してあるのでここではあまり細かなことまで異論を立てないことにします。とにかく表記テーブルがあれば、表記の問題は解決するのではないでしょうか。ただ、日本で確立した韓国語読みと実際の韓国の発音が違う場合があります。パク・クンヘ(パク・クネ)、ケー・スンヒ(ケー・スニ)などです。とくにケー・スンヒはオリンピックの英語読みが日本で定着してしまったので、今さら「ケー・スニ」と表記しても誰のことかわからなくなります。このあたりは柔軟に対処するしかないでしょうね。Trek011 2004年11月30日 (火) 06:09 (UTC)返信


Category:朝鮮史の人物を覗いたところ、ほとんどが朝鮮語読みでしたので朝鮮語読みが主で日本語読みが従の方がいいかなと思いました。広開土は私案に従えば、
広開土王(クァンゲトおう、こうかいどおう、 生年-没年)
って感じですかね。まずは人名に関して議論を進めたいのですが国名は日本語読みで構わないと思います。
日本で確立した韓国語読みと実際の韓国での発音が異なる場合は、すでに記事があるものではクァク・ジェヨン金賢姫朴賛浩などがありますね。「パク・グンヘ」などは論外として、これらは「間違っている」とまでは言えない気もしますので、
    • 定義部で「日本で確立した韓国・朝鮮語読み」を記す
    • テーブルで「実際の韓国・北朝鮮での発音」を記す
ようにしてはどうかと思います。特に北朝鮮の人名はなぜか日本ではリエゾンしないことが多いみたいなので、(例:宋日昊)Trek011さんのおっしゃるとおり、このあたりはっきりさせておく必要があると思います。Cinnamon 2004年11月30日 (火) 06:30 (UTC)返信

世宗 (朝鮮王)という記事もありますし、必ずしも一貫した方針があるわけでもないようですね。この点に関してまで論点を広げると収拾がつかなくなる虞があるので、詳しい方にお任せしたいです。Cinnamon 2004年11月30日 (火) 08:45 (UTC)返信

  • 高麗・朝鮮の廟号はまたシステムが違うのです。とにかく、ここはスタイル・マニュアルなので、「広開土」の例示を残しておくとまずいので、変更してください。これは私個人の意見ではありません。Trek011 2004年11月30日 (火) 08:52 (UTC)返信

了解です。変更しました。一般名詞である「王」は日本語読みで「おう」としました。Cinnamon 2004年11月30日 (火) 09:05 (UTC)返信

こちらこそご指摘に感謝しております。ここに表示されている私の発言は裁可されていない「私案」の域を出ていないので、ゆめゆめこの案に従った記事が次々生まれるということはないと思いますが、やはり不適切な例を提示し続けるのは不本意ですので。Cinnamon 2004年11月30日 (火) 10:16 (UTC)返信

訃報のニュースの敬称

ノート:最近の出来事で書いたことですが、こちらにも書き込みます。最近の出来事に「高松宮妃喜久子が、12月18日、敗血症のため逝去。」という記事がありました。「人名に敬称をつけない」という基本方針はよくわかるのですが、亡くなった方を呼び捨てにするのはどうかと思います。訃報に関しては「さん」くらいはつけた方がよいのではないでしょうか? もちろん、これは高松宮妃が皇族だからということではありません。犯罪者ででも無い限り、訃報のときにはみんなそうすべきだという意見です。なお、亡くなった方の人名だけを羅列する内容の場合には敬称は無くてもさほど不自然には思いません。訃報のニュースについてのみの意見です。 --Hachikou 2004年12月21日 (火) 23:12 (UTC)返信

論点が増えてきたので整理致します。
  • 論点1:訃報ニュースを今後も継続するか
  • 論点2:論点1で継続すると決めた場合、訃報ニュースのみに敬称をつけるかどうか
  • 論点3:論点2で敬称をつける場合、つける敬称は「さん」にするかどうか
  • 論点4:論点2で敬称をつける場合、敬称をつけるか否かを対象者毎に判断するか
  • 論点5:論点1で継続すると決めた場合、訃報ニュース中の「歿」は表現を変えるかどうか
  • 論点6:敬称をつけない意義を分かりやすく注釈すべきか
論点は新しい論点が出来次第増やして行きます。--Tanadesuka 2005年1月3日 (月) 07:26 (UTC)返信

論点1:訃報ニュースを今後も継続するか

(廃止)私は訃報ニュース自体は原則廃止したほうがよいと思います。というのも、訃報は単なるニュース速報であることが多く、最近の出来事の目的である背景解説になっていないことがほとんどだからです。kaz 2004年12月29日 (水) 09:27 (UTC)返信
(不要)そもそも訃報のニュースが必要かどうかという点ですが、確かに必要性は薄いかもしれませんね。亡くなった方の人名一覧だけにして(一覧なら敬称をつけなくてもあまり失礼にはあたらないと思う)、その人が独立した記事になるくらいの著名人ならばその記事へのリンクをはっておくというやり方だけでよいという気もします。というわけで、現在の私の意見は、「論点1:訃報ニュースは不要。亡くなった人の人名一覧だけにする」--Hachikou 2004年12月30日 (木) 02:11 (UTC)返信
(不要)まず、訃報ニュースや故人の人名一覧はそもそも不要だと思います(論点1)。yhr 2004年12月30日 (木) 15:35 (UTC)返信
(廃止)論点1に関しまして。ニュースサイトではないWikipediaで訃報を流す理由は、ニュースとして掲載することで執筆者の目を引き、亡くなられた方に関する記事やその周辺分野への執筆を促す為なのではないかと存じます。しかし現状ではkazさんが仰る様に、訃報が上手く機能して居ないのではないか無いかと存じます。すると選択肢は2つ
  • 論点1の選択肢1:(訃報ニュースが目的を達するように機能を)改善
  • 論点1の選択肢2:廃止
のどちらかになるのではないかと存じます。論点1改善案の利欠点は以下のような物が挙げられます。
  • 改善案利点
    • 改善案利点1:Wikipedia全体が偏りの無い百科事典になる
  • 改善案欠点
    • 改善案欠点1:執筆者が足りない事と、亡くなった方に関して記事を書くことは多くの場合躊躇われる事から、目標実現が困難
    • 改善案欠点2:上記のような終わりの無い議論をかもし出す
以上より論点1改善案は利点<欠点なのではないかと存じます。一方論点1廃止案の利欠点は以下のような物が挙げられます。
  • 廃止案利点
    • 廃止案利点1:簡単で現実的
    • 廃止案利点2:余計な議論がいらない
  • 廃止案欠点
    • 廃止案欠点1:Wikipedia全体に偏りが生じてしまう危惧
    • 廃止案欠点2:世間一般で特定の人物の訃報が話題になったときにWikipedia上で管轄する記事が無くなる
廃止案欠点1は新着項目が投票で行われている事などで対処出来ているのではないかと存じます。また、廃止案欠点2は今回の議論の結論を何処かに纏め、スタイルマニュアルから参照できるようにしておけば、井戸端などで対処可能なのではないかと存じます。すると論点1廃止案は利点>欠点なのではないかとぞんじます。以上より廃止案に賛成いたします。--Tanadesuka 2004年12月30日 (木) 23:54 (UTC)返信
(存続)最近の出来事は、すでに書かれている記事への読者へのポインタとしても、また新たな執筆者に執筆意欲を喚起するうえでも役割を果たしており、訃報や慶事もその出来事の一環として存在するため。Ligar 2005年1月1日 (土) 11:13 (UTC)返信
(コメント)えーと、とりあえずなくすべきとの主張は取り下げて議論の成り行きを見守りたいと思います。Ligarさんのおっしゃる利点については納得しました。たしかに、とても有名な方が亡くなった際に、ウィキペディアの記事をポイントしたり未執筆であれば執筆を促したりする効果と言うのは無視できないものであると思います。もちろん、どの程度の人物まで取り上げるのかと言うのは別個に議論が必要とは思いますが、現状の運用であればそんなに危惧するほどではないのかと思います。いっぽう、Tanadesukaさんのおっしゃるは改善案欠点について「執筆者が足りない」「亡くなった方に関して記事を書くことは多くの場合躊躇われる」とうは正直根拠として不十分であると思いました。yhr 2005年1月3日 (月) 03:28 (UTC)返信
(コメント)訃報に関してはメインページに訃報欄があるので、ポインタとしてはそれで十分かと思います。最近の出来事の本来の目的は、ニュースの背景解説のための項目へのリンクを提供することです。単純に人物記事へのポインタであれば訃報欄で十分でしょう。kaz 2005年1月3日 (月) 03:33 (UTC)返信
(コメント)死亡の原因が社会的に重大な事象であって、その自称の発生と死亡が離れている場合や、死亡の影響により大きな社会現象があった場合などは最近の出来事に掲示されるのも無意味ではないのかと思います。たとえば今上天皇の崩御であるとか。まあそんなに大きな事象がそうたびたび起こるものでもないでしょうが、有名芸能人の死去に伴うファンの行動が社会現象として認知されることもあるでしょうし、大企業のオーナー社長の死去が経済界に大きな影響を与えることだってあると思います。単に人物記事へのリンクと言うだけの意味しかない純粋な訃報であれば確かにメインページの訃報欄で十分でしょうけどね。yhr 2005年1月3日 (月) 04:27 (UTC)返信
(コメント)特に下の論点5を見ると、「トップページのTemplate:訃報」と「最近の出来事の訃報記事」の話が混じっているような気がしています。ここでの議論は最近の出来事のことと解釈してよろしいのでしょうか。訃報のノートを見るとトップページに訃報を載せるべきかの話とも感じられるので、確認です。竹麦魚(ほうぼう) 2005年1月13日 (木) 04:35 (UTC)返信
同感です。上の議論をみると最近の出来事の話題にほぼ終始しているにもかかわらず、唐突にメインページの話題が出てきた感があります。とりまとめをしてくださるのはありがたいのですが、議論を整理したうえで呼びかけをお願いします。--Aphaea* 2005年1月13日 (木) 04:48 (UTC)返信
こちらでの議論は最近の出来事に関する物であり、トップページの話では御座いませんでした。Template‐ノート:訃報への御報告は場違いな物であり私のミスで申し訳御座いません。--Tanadesuka 2005年1月13日 (木) 12:23 (UTC)返信

論点2:訃報ニュースのみに敬称をつけるかどうか

論点2は論点1で継続すると決めた場合にのみ議論が有効になります。

Hachikouさんの御指摘は「死者に敬意を払うべきだ」と言う思想から来るものなのでしょうか。「例え生前 崇拝されていたり嫌悪されていたりしても死んでしまえば皆同じなので、生前のいざこざは抜きにして一律に敬意を払い、「さん」位は付けた方が良いのではないか」と言うご主旨でしょうか。もしそうであれば、その気持ちはよく分かります。少なくとも私は死んでしまえば皆同じだと思いますので、一律にさん付けしても良い気がいたします。しかし死後の世界を信じる仏教徒やその他の宗教信者の方々も同じ気持ちなのでしょうか?もし死んでも生前の善行や悪行は消えきらないと信じている信者の方がいらっしゃるなら、やはり敬称は付けるべきでは無いのではないかと存じます。--Tanadesuka 2004年12月29日 (水) 04:00 (UTC)返信
ようやく議論が始まって喜ばしく思っております。まずTanadesukaさんのご質問に関して。「死んでしまえば皆同じ」かどうかはわかりませんが、「死者に敬意をはらう」という気持ちでおります。法的に有罪になったかどうかで犯罪者扱いにするかどうかは(ほぼ)決められると思いますので、敬称付加の原則は(ほぼ)主観によらないものとすることができるだろうと思います。(起訴中の死亡はどうするのかなど一部の例外はあるでしょうが、原則としては定めることができるだろうと思います。)--Hachikou 2004年12月30日 (木) 02:11 (UTC)返信
(賛成)「論点2:なんらかの強い理由があって訃報をニュースとして取り上げる必然性が高いと思われる場合、訃報ニュース中の無くなった方の人名には敬称をつける」--Hachikou 2004年12月30日 (木) 02:11 (UTC)返信
(反対)論点2に関しまして。私個人は無宗教論者であり、死者に敬称を付けたほうが良いと存じます。しかし「死者に敬意を払う」と言うのは、特定の宗教的(∋無宗教)な信念です。特定の信念をルール化する場合は、相反する様々な信念をお持ちの方々から満遍なく意見を取り入れ、NPOVを目指さなくてはなりません。しかし異なる宗教を立場の拠り所としている方々から相互に納得の行くルールを作ることは並大抵の事ではありません。例えば「さん」付けをルール化する事で、「さん」では失礼だから「様」付けにルールを変更するべきだ、ですとか、「さん」付けルールは特定の宗教信者の信念に反するので廃案にするべきだ、等と言った難しい物議をかもし出すでしょう。その様な議論を避けるためにも、「敬称はつけない」と言うルールに例外規定は設けないほうが好ましいのではないかと存じます。--Tanadesuka 2004年12月30日 (木) 05:09 (UTC)返信
(賛成)亡くなられた方の訃報に敬称を付けるのは当然だと思っています。敬称をつけない原則の例外事項として扱うべきです。亡くなられた方には「さん」を、そして日本独自の文化の観点から皇室には「さま」をつけるのが良いと考えます。(残りの意見は#論点4:敬称をつけるか否かを対象者毎に判断するかを参照)Ligar 2004年12月30日 (木) 05:34 (UTC)返信

論点4が先に論議されているようですね。まず先に論点1, 2に絞って意見を出し合いませんか? 訃報のニュースで敬称をつけることに対し、自分自身が違和感や嫌悪感を感じるという人は現れていませんが、「違和感を感じる人がいるかもしれないから」反対という意見がいくつか見られますね。もう少し意見を待ってみようとは思いますが、死者に敬意を表すことに疑義を持つ信念の人って、本当にいるのでしょうか? --Hachikou 2004年12月30日 (木) 14:13 (UTC)返信

(コメント)例えば皇族に様をつけることは東アジアの方々に取っては不愉快な事なのではないでしょうか。私も凶悪な独裁者や無差別テロリストが法的に裁かれないまま死去した場合などに敬意を表すことには疑問を持ちます。--Tanadesuka 2004年12月31日 (金) 23:13 (UTC)返信

(反対)ルールが煩雑化するのがいやなので特別な例外を設けることに反対(論点2)。また個人的信条として死者の人格に対する敬意は生者のそれに対するよりも重要でないと考えますし、死者そのものは過去の事実以上のものではありえないと思っています。もちろん個人的に思い入れのある人物であれば心情的には話は違いますけどそれはPOVでしかありえません。yhr 2004年12月30日 (木) 15:35 (UTC)返信

敬称をつけない原則の例外に反対する理由は、違和感を感じる人がいるかもしれないから、ではないことを記しておきます。敬称をつけることがそもそも中立的な観点とはなじまないから、です。kaz 2004年12月30日 (木) 17:13 (UTC)返信

  • (コメント)訃報に関しては、[1][2][3]の様に訃報欄に(敬称略)と注記すればよいのではないでしょうか。WikipediaはNPOVに沿って敬称をつけないといっても、一見の方にはそういったことは分からないでしょうし、Wikipediaの玄関口であるメインページに断りを入れておく事で無用なトラブルを避ける為にも望ましいことだと思います。--Snow steed 2005年1月3日 (月) 06:22 (UTC)返信
(コメント)Snow steedさんの提案にコメントします。敬称をつけるべきところを略していると言う主張にとられる可能性も有り微妙で有ると思います。NPOVの観点から付けないと言うのは、略していると言うのとは違うのではないでしょうか。ただ、敬称をつけないという方針が有ることをわかりやすく提示する必要性も感じないわけではないのですけど。yhr 2005年1月3日 (月) 06:42 (UTC)返信
一見さんに限らず投稿し始めの方にはWikipedia:中立的な観点を知らない方も多そうです。ここの議論がまとまるのが前提ですが、最近の出来事ノート:メインページあたりに「敬称をつけないという方針」がWikipedia:中立的な観点に基づくものであることを提示しておくのはよいと思います。kaz 2005年1月3日 (月) 07:00 (UTC)返信
なるほど、Wikipedia:中立的な観点をご存じない方も多いと言う事は考慮に入れておりませんでした。とりあえず本記事には書き加えさせて頂きました。どうも有難う御座います。
敬称は省略されているのではなく、あえてつけない形を選んでいるのだと思うのですがTanadesukaさんはその点についてどう思われますか?yhr 2005年1月3日 (月) 16:27 (UTC)返信


(コメント)Snow steedさんの提案はちょうど良い妥協案だと思います。Ligar 2005年1月3日 (月) 08:24 (UTC)返信

論点3:つける敬称は「さん」にするかどうか

論点3は論点2で敬称をつけると決めた場合にのみ議論が有効になります。


論点4:敬称をつけるか否かを対象者毎に判断するか

論点4は論点2で敬称をつけると決めた場合にのみ議論が有効になります。

(反対)例え犯罪者に対してであっても、万人が同じ気持ちで接している訳ではなく、崇拝している人も居れば嫌悪している人も居るので、一端敬称をつけ始めると主義思想の議論になってしまい、Wikipedia発展の足枷となるのでは無いでしょうか。敬称をつけるつけないを対象者毎に判断する事は賛成致しかねます。敬称の有無は一意に決めるべきではないかと存じますが、如何でしょうか。--Tanadesuka 2004年12月29日 (水) 04:00 (UTC)返信

亡くなった方のうち、過去の歴史的人物(徳川家康とか)についても敬称をつけたほうがよいとお考えですか?他の記事と統一しないとなるとかなり違和感があると思われますが・・・。kaz 2004年12月29日 (水) 09:27 (UTC)返信

kazさんのご意見に関して。徳川家康の訃報が書かれることがあるでしょうか? 例が極端すぎるかと思います。本論で問題にしているのは訃報のニュースです。--Hachikou 2004年12月30日 (木) 02:11 (UTC)返信

亡くなられた方の訃報に敬称を付けるのは当然だと思っています。敬称をつけない原則の例外事項として扱うべきです。亡くなられた方には「さん」を、そして日本独自の文化の観点から皇室には「さま」をつけるのが良いと考えます。Ligar 2004年12月30日 (木) 05:34 (UTC)返信

皇室は日本の文化の一部ですが、ここはWikipedia日本語版であって、日本版ではないので、日本を特別扱いする観点(POV)は不適切であると思います。kaz 2004年12月30日 (木) 06:50 (UTC)返信

訃報などの場合の表記慣例は日本の文化にかかわってきます。日本の文化に沿わないものは日本語版とは呼べません。Ligar 2004年12月30日 (木) 07:11 (UTC)返信

(反対)論点4に関しまして。私個人は故人に敬意を表する事には賛成です。しかしWikipedia日本語版は日本人の物では御座いません。日本語版には中国人もアメリカ人も参加できます。すなわち日本語版の自治には中国人の方も参加する権利があるのです。皇室と言うのは神教では崇拝の対象となっていますが、先の大戦の影響から東アジア諸国の方々からは嫌悪の対象となっております。この様な複雑な事情の中で、「皇室に敬意を払う」と言うルールを合意形成する事はWikipedia発展にとって利点よりもリスクの方が大きいのではないでしょうか。--Tanadesuka 2004年12月30日 (木) 07:31 (UTC)返信
同感です。NPOVはWikipediaの基本原則ですから、それを曲げるべきではありません。kaz 2004年12月30日 (木) 07:45 (UTC)返信
東アジアの人々に皇室が嫌悪の対象となっているという理由によって、「さま」をつけないというのはNPOVの根拠になりません。また、中国人も参加できるといって、彼らの好みに合わせて日本語表記慣例を変化させる必要性も感じません。Ligar 2004年12月30日 (木) 07:58 (UTC)返信

(コメント)私個人は皇室に様をつける事は反対ではありません。しかし様は敬称であり、尊敬の対称に付ける物ですので、様をつければ付けた対象に尊敬の意を表する事になります。尊敬と言うのは感情や信念から来る物であり、科学的事実から来る物ではございません。百科事典は事実のみを記述するものですので、例えば「日本人は皇族に様をつけることが多い」と書くことは問題ありませんが、例えではない記事本文で様をつけることは神教と言う特定の立場からの記述となり、POVになります。従って様をつけない方がWikipediaに相応しいのではないかと存じますが、如何でしょうか。--Tanadesuka 2004年12月30日 (木) 11:05 (UTC)返信

訃報は百科事典の項目ではなくニュースですので、Tanadesukaさんのご指摘は的外れに思います。百科事典内の記事のスタイルとしてであるならTanadesukaさんの論には全面的に賛成なのですが。皇族の訃報に敬称をつけるという日本での慣例は、「科学的事実」あるいは「世界的視野からの観点」というものに無関係な「文化」ですので、日本語版であるかぎり必要です。Tanadesukaさんは、上司・年上の人に対して、同じ人間だからと理由で尊敬語、丁寧語を使用せずタメ口を話しますか?しないでしょう。それが文化あるいは風習であり、科学的中立性とは無関係の位置にあるのです。Ligar 2004年12月31日 (金) 14:20 (UTC)返信
最近の出来事は、その名前空間からも分かるように、百科事典の項目ですよ。kaz 2004年12月31日 (金) 16:13 (UTC)返信
kazさんの区分ではそうかもしれませんが、ニュース記事だと考えています。純粋な項目記事とは区別すべきではありませんか?en:Recent deathsにおいても敬称である、”Sir”が付けられていることから、英語版でも区別されていることが伺えますよ。Ligar 2004年12月31日 (金) 16:37 (UTC)返信

全員についているわけではないようですね。ドクターやサーは一種の称号として別扱いになっているだけなのでは無いでしょうか。--Snow steed 2004年12月31日 (金) 17:29 (UTC)返信

ドクターやサーをつけるのは、敬称としての役割よりは本人がそのような称号を与えられていると言う、本人の属性を示すものと受け取るべきだと思います。僕は故人にのみ「さん」などの敬称をつけることにそもそも反対なのでこのような議論は瑣末なものに思えてしまうのですがどうえしょう。僕の個人的な考えとしては本人の属性を示すような称号のたぐいはつけてもよいと思いますが、執筆者や読者が書かれている対象に対して持つ感情を示している敬称の類は、ノートなどで個人の意見を表明する場合を除いて、ウィキペディアのすべての記述において付けるべきではないと思います。yhr 2004年12月31日 (金) 20:01 (UTC)返信

私は故人に対して「さん」や「氏」、「さま」をつけるのは日本のニュース記事のスタイルだと考えており、ウィキペディアのみ、そのスタイルからはずれた特殊なものにするのには反対の立場にたっていますから、瑣末な問題だとは思っておりません。「最近の出来事」は、ウィキペディア内でも特殊な位置づけでして、ニュース記事の性格をもっています。つまり出来事の解説ではなく、その出来事に登場する事物の記事へのポインタとしての役割を果たしているわけです。「最近の出来事」は、単なる「年表」ではないと考えます。単なる年表なら普通敬称は略しますし、kazさんのように徳川家康に敬称をつけるのかという疑問がでるでしょう。つまり、「最近の出来事」を単なる年表とするかニュースととらえるかで変わってくるわけです。私は一般の百科事典の解説記事においては敬称の省略はあっても問題ではないとは思いますが(というかそれが当然ですが)、訃報や慶事などのニュースについてのスタイルは、新聞やその他一般の報道とおなじスタイルを継承すべきだと考えます。日本と風習の違う英語版を持ち出したのも、ニュース系の記事は他の記事とは区別されているという点を示したかったわけです。全員にSirがついてないのは当たり前です。Sirは英国のナイトに付けられる称号であり、一般人にはつけることはないですから。つまり皇族を区別するのはそれに準じた扱いだと考えるわけです。執筆者や読者の感情などの問題ではありません。この問題は、原則の例外として扱うべきです。Ligar 2005年1月1日 (土) 07:42 (UTC)返信

なにか話が錯綜していますが、Sir ないし Lord の称号を持っていれば記事中でも使います(cf. en:Philip_Sidney)。個人の項目名には含めないだけです(しかし世襲貴族の称号にはそれぞれ別個に項目が立てられています)。今上げた項目の冒頭文は "Sir Philip Sidney is..."とはじまります。つまり英語版には項目と最近の出来事との間で「区別されている」のではなく同一の書き方が用いられているといえます。英語版にならうというなら、最近の出来事でも敬称を撤廃したままにするか、項目名でも殿下などの称号を用いるようにするかの二者択一だと思いますがいかがでしょうか。--Aphaea* 2005年1月1日 (土) 07:57 (UTC)返信
英語版にならうという主張ではないのですが・・・他の言語ではそもそも訃報に「さん」などをつける風習はないようですし。英語版のSirは違うとおっしゃられるなら取り下げます。しかし日本語版は日本語の慣例で記述する必要があるというのは強調しておきます。Ligar 2005年1月1日 (土) 11:13 (UTC)返信
皇族に「さま」の敬称をつけるのは日本のニュース記事のスタイルというよりも日本人の観点です。また、もし観点ではなく単なるスタイルだと主張されるならば、中立的な観点はスタイルよりも優先すべき事項ですので、日本のマスメディアのスタイルと違うとしても仕方ありません。kaz 2005年1月1日 (土) 08:07 (UTC)返信
Ligarさんが日本の伝統や文化を大切にされるお気持ちは素晴らしいものだと存じます。同様に、他文化を大切にされるお気持ちもとても素晴らしいものだと存じます。お互いのよい所を理解しあうことでWikipediaは世界に貢献できるのです。その為にはお互いに悪しき伝統文化だと思われている部分は主張しない事も大切です。どうぞこれからも自他共の文化を大切にされて、ウィキ愛へのたゆまぬ探求を続けて参りましょう。--Tanadesuka 2005年1月1日 (土) 08:37 (UTC)返信
敬称をつけることが悪しき伝統だとは思いませんが、とりあえず論点1を解決してからですね。Ligar 2005年1月1日 (土) 11:13 (UTC)返信

論点5:訃報ニュース中の「歿」は表現を変えるかどうか

論点5は論点1で継続すると決めた場合にのみ議論が有効になります。

少々オフトピック気味なのですが、訃報で用いられる「歿」はどのような経緯で用いられるようになったのでしょうか。おそらく常用漢字の「没」に抵抗を覚えられために用いられていると思うのですが、Wikipedia:日本語環境では「原則として常用漢字を用いる」とあり、原則から外れていることになります。ホームページはWikipediaの顔と言え、個々の編集者の良心によって営まれているWikipediaのありかたの象徴として死者を悼む心情を表現するというのも理解できるのですが、同時に皆の目に触れる欄として「原則」の提示場所でもあります。私としましては敬称の有無は無差別とし、「歿」は「逝去」「死去」などへの置き換えを以って全体の整合性を取る結論を期待します。Cinnamon 2004年12月29日 (水) 22:08 (UTC)返信

論点6:敬称をつけない意義を分かりやすく注釈すべきか

WikipediaはNPOVに沿って敬称をつけないといっても、一見の方にはそういったことは分からないでしょうし、Wikipediaの玄関口であるメインページに断りを入れておく事で無用なトラブルを避ける為にも望ましいことだと思います。--Snow steed 2005年1月3日 (月) 06:22 (UTC)返信

スタイルマニュアルを改稿してみました。

スタイルマニュアルを改稿してみました。記述を整理して読みやすくすることを目的としています。英語版も参考にしながら、記述を追加すべき点についての加筆も行いましたが、その部分は現在慣習となっていることにとどめました。したがって、現在議論中のことについては反映されていません。

もしも、誤解を生む部分がありましたら修正をお願いします。--Michey 2005年2月2日 (水) 09:20 (UTC)返信

導入部で作品名に『』をつけるか

最初の導入部において、その記事が作品名の場合『』を付けたほうが良いのでしょうか?

  1. 宝島』(たからじま)は、ロバート・ルイス・スチーブンソン著の子供向け海洋冒険小説。
  2. 宝島(たからじま)は、ロバート・ルイス・スチーブンソン著の子供向け海洋冒険小説。

私は後者にしているのですが、一部のウィキプロジェクトでは前者を採用しています。統一したほうが良いのではないでしょうか。--Ligar 2005年3月20日 (日) 12:35 (UTC)返信

現段階で無理に統一することも無いと思います。各プロジェクトで話し合って決めればよいのでは。--Snow steed 2005年3月20日 (日) 13:18 (UTC)返信
コメントありがとうございます。まあ、表記がバラバラでも気にしない人にはまったく気にならない細かなことですが、その細かなことを決めるのがスタイルマニュアルだと思いますのでそこはひとつ・・・。プロジェクトごとに話し合えと言うのもどんなもんなんでしょうね。漫画作品、文芸作品、音楽作品などに分けて基準を決めるようなものですか、これ?--Ligar 2005年3月20日 (日) 13:47 (UTC)返信
こんにちは。Wikipedia:スタイルマニュアル#文献名・作品名で「作品名自体が記事名のときは強調と併用して「『記事名』は~」とする」と明記しています。わかりづらかったかもしれませんが、これは導入部についての説明文です。ですから、「一部のウィキプロジェクト」というわけではありません。これは、本ノートでの過去の議論(2004年4月頃)を経て決まったものですが、不都合があるようであれば、現在の方針を変更しても構わないと思います。変更するとするなら何か明確な理由はあるでしょうか。Yas 2005年3月21日 (月) 05:43 (UTC)返信
なるほど、Yasさんありがとうございます。変更を提案しているわけではありません。統一されているのなら問題ありません。--Ligar 2005年3月21日 (月) 15:21 (UTC)返信
既にルールがあるならそれに従えばいいのではないでしょうか。--Snow steed 2005年3月21日 (月) 13:18 (UTC)返信

導入部の修正と、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部においてフィガロの結婚に『』がなかった点を修正しておきました。--Ligar 2005年3月21日 (月) 15:33 (UTC)返信

修正ありがとうございました。誤解の余地が減り、わかりやすくなったと思います。Yas 2005年3月21日 (月) 22:11 (UTC)返信
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