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柴崎 勇(しばさき いさむ、1949年5月2日[1] - 2013年7月12日[2])は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。千葉県出身[1]。
柴崎勇 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県[1] |
生年月日 | 1949年5月2日[1] |
死没 | 2013年7月12日[2](満64歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
鴨田次男・中山-美浦(1968年5月 - 1984年2月) →フリー・美浦(1984年3月 - 1994年2月)[1] |
初免許年 | 1970年[1] |
騎手引退日 | 1994年[1] |
重賞勝利 | 10勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | JRA3928戦277勝[1] |
調教師情報 | |
初免許年 | 1994年(1995年開業)[1] |
調教師引退日 | 2013年7月12日(死没)[1] |
重賞勝利 | 4勝 |
通算勝利 | JRA3980戦251勝[1] |
経歴 | |
所属 | 美浦トレーニングセンター[1] |
1970年に騎手デビュー。1986年に騎乗馬ギャロップダイナで安田記念(GI)に優勝した。騎手引退後の1995年より調教師として美浦トレーニングセンターで厩舎を開業し、死去する2013年まで在職した。
経歴
父親は厩務員であり、15歳のとき父の伝手を頼り鴨田次男厩舎(中山競馬場)に入門[3]。厩舎で働きながら騎手を目指す「短期講習生」として過ごし[3]、1970年に騎手免許を取得した。1972年には騎乗馬ナスノセイランで障害の最高競走・中山大障害(春)を制し、重賞初勝利を挙げる。
1984年、鴨田厩舎を離れフリーになると、「ダイナ」を冠名とする社台レースホース所有馬を中心に次々と重賞を制する[4]。1986年春にはギャロップダイナで安田記念を制し[5]、生涯唯一のGI優勝を果たした。また、同馬は夏にフランス遠征を行い、柴崎もこれに帯同。調教騎乗の要員であったが[4]、8月には社台ファーム代表・吉田善哉の所有馬キタグニに騎乗してクラフォンテーヌ競馬場で勝利を挙げ、9月にはギャロップダイナ渡仏2戦目のムーラン・ド・ロンシャン賞(G1)にも騎乗した(結果は10着)[6]。
1994年2月16日、調教師免許試験に合格し[7]、同27日をもって騎手を引退[8]。JRA通算3928戦277勝、うち重賞10勝[2]。
翌1995年に厩舎を開業[2]。2001年に管理馬オイワケヒカリでフローラステークスを制し、調教師として重賞初勝利[9]。以後2013年初頭の中山金杯(優勝馬タッチミーノット)まで重賞4勝を挙げた[2]。
最後の重賞勝利から約半年後の7月12日、病気のため調教師在職のまま死去[2]。64歳没。調教師としては通算3980戦251勝(JRA)を挙げた[2]。
成績
この節の加筆が望まれています。 |
騎手成績
- JRA通算3928戦277勝
重賞勝利馬
- 括弧内は柴崎騎乗時の優勝重賞競走、太字はGI競走。
- 出典:『日本調教師会50年史』資料編・重賞競走成績
- ナスノセイラン(中山大障害・春)
- ニッショウダイヤ(東北記念)
- ダイナマイン(1984年新潟記念、牝馬東京タイムズ杯)
- ダイナシュート(1984年新潟3歳ステークス 1987年七夕賞)
- ロシアンブルー(1985年七夕賞)
- ダイナエイコーン(1985年新潟3歳ステークス)
- ギャロップダイナ(1986年東京新聞杯、安田記念)
調教師成績
- JRA通算3980戦251勝
重賞勝利馬
- 出典:日本中央競馬会公式サイト・引退調教師名鑑「柴崎勇」
- オイワケヒカリ(2001年フローラステークス)
- アポロティアラ(2006年フェアリーステークス)
- トーセンベニザクラ(2012年フェアリーステークス)
- タッチミーノット(2013年中山金杯)
出典
参考文献
- 中央競馬ピーアール・センター編『調教師の本II』(中央競馬ピーアール・センター、1991年)
- 『優駿』(日本中央競馬会)各号