紀元前299年(きげんぜん299ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
十年紀 前310年代 前300年代
前290年代
前280年代 前270年代
前302年 前301年 前300年
紀元前299年
前298年 前297年 前296年

当時は、「マルクス・フルウィウス・パエティヌスティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元455年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前299年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

共和政ローマ 編集

中国 編集

  • 武霊王が退位し、子の恵文王に王位を譲った。武霊王は主父を称して、実権を握り続けた。
  • 湣王襄王で会合した。
  • を攻撃し、8城を奪った。秦は和平の条件として楚の懐王武関で会合することを求めた。懐王が行こうとしたので、屈原は身を挺して反対した。しかし懐王は武関に赴き、秦に抑留された。斉は楚の太子横を帰国させ、太子は即位して頃襄王となった。
  • 斉の孟嘗君が秦に入ると、秦の昭襄王は孟嘗君を丞相とした。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集