王 譚(おう たん、? - 紀元前16年)は、前漢後期の人物。子元魏郡元城県委粟里の出身。

王禁の子で、成帝の生母の皇太后王氏(王政君)、及び成帝の執政(大将軍)となった王鳳の異母弟。河平2年(紀元前27年)に弟4人(王商王立王根王逢時)と共に列侯(平阿侯)に封ぜられ、「五侯」と呼ばれた。

生存している兄弟の中では王譚が王鳳の次の順番だったが、王鳳と仲が悪く彼に仕えようとせず、また傲慢であった。そのため、王鳳が重病になった際、成帝が執政の後継者について「王譚が次の執政であろうな」と尋ねたところ、王鳳は自分の従兄弟である御史大夫王音を推薦し、陽朔3年(紀元前22年)王鳳が死ぬと、王譚ではなく王音が後継者となった。

成帝は王譚を執政の代わりに位特進とし、城門の兵を指揮させようとしたが、谷永の進言により王譚は謙譲の姿勢を示して辞退し、それから王音と王譚の仲が険悪になった。

永始元年(紀元前16年)に王譚は死亡し、安侯と諡された。平阿侯は子の王仁が継いだ。王仁は元始4年(4年)に王莽に殺された。平阿侯はその子の王述が継いだが、建武2年に死亡して断絶した。

王譚の子には後継ぎの王仁のほか、哀帝が皇太子の時に太子庶子、即位後に侍中騎都尉となった王去疾、その弟の王閎がいる。

参考文献編集

『漢書』巻18 外戚恩沢侯表、巻93 董賢伝、巻98 元后伝