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田島勝太郎

田島 勝太郎(たじま かつたろう、1879年明治12年)8月10日 - 1939年昭和14年)1月28日[1])は、日本の商工官僚衆議院議員立憲民政党)、逓信政務次官

経歴編集

大分県日田郡中津江村(現在の日田市)出身。田島儀市の二男。1906年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。大学院に進学後、高等文官試験に合格し、農商務省に入省した。水産講習所教授兼水産局書記官、製鉄所事務官、製鉄所参事、農商務書記官兼製鉄所理事などを歴任し、外務書記官に転じた。また製鉄所在任中には八幡市の市会議長に推された[2]

1923年6月、東京市助役に招かれ、関東大震災の対応に尽力した[2]。その後、東京鉱山監督局長、福岡鉱山監督局長を経て、1930年に商工次官に就任した[3]

翌年に退官すると、1932年第18回衆議院議員総選挙に福岡2区から出馬し、当選。その後も第19回第20回と連続当選を果たした。その間、第1次近衛内閣で逓信政務次官を務めた。

その他に大阪機械工作所株式会社の監査役を務めた[3]

栄典編集

著書編集

  • 『山行記』(昭文堂、1926年)
  • 『奥多摩 それを繞る山と渓と』(山と渓谷社、1935年)

脚注編集

  1. ^ 『官報』第3619号、昭和14年1月30日
  2. ^ a b 『昭和之日本』人物編 p.155
  3. ^ a b 『人事興信録』
  4. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。

参考文献編集

  • 『衆議院要覧(乙) 昭和12年11月増訂』衆議院事務局、1937年。
  • 『御大典記念 昭和之日本』東京毎夕新聞社、1929年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。


公職
先代:
三井米松
  商工次官
1930 - 1931
次代:
吉野信次