真野 五郎(まの ごろう、1890年明治23年)10月2日[1] - 1956年昭和31)12月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]

真野 五郎
生誕 1890年10月2日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1956-12-07) 1956年12月7日(66歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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経歴

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1890年(明治23年)に兵庫県で生まれた[1]陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第35期卒業[1]1936年(昭和11年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に豊橋陸軍教導学校附となり[2]1937年(昭和12年)8月に第1軍兵站参謀長に就任し[2]日中戦争に出動[1]1938年(昭和13年)3月に歩兵第77連隊長(第1軍・第20師団・歩兵第39旅団)に転じた[1][2]

1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に進級し[2]第36師団兵站司令官に着任[1]1940年(昭和15年)3月に留守第3師団司令部附となり[1]1941年(昭和16年)10月に独立混成第2旅団長(駐蒙軍)に就任し[1]張家口に駐屯した[1]1942年(昭和17年)11月18日第65旅団長(第8方面軍第18軍)に転じ[1]、激戦のニューギニア戦線に出征し[1]12月1日に陸軍中将に進級した[2]1943年(昭和18年)6月14日には戦死した阿部平輔中将の後任として[1]第41師団長(第18軍)に親補され[1]、苦戦を続ける中ニューギニアで終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 福川 2001, 687頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 314頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026