石田 善佐(いしだ ぜんさ、1893年明治26年)8月17日[1] - 1947年昭和22年)9月8日[2])は、日本の衆議院議員ジャーナリスト

石田 善佐
いしだ ぜんさ
生年月日 1893年8月17日
出生地 日本の旗 日本新潟県東頸城郡顕聖寺村
(現上越市浦川原区
没年月日 (1947-09-08) 1947年9月8日(54歳没)
死没地 日本の旗 日本新潟県高田市(現上越市
出身校 早稲田大学政治経済科
前職 上越新聞社顧問
所属政党 日本自由党大政翼賛会

選挙区 旧新潟県第4区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
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経歴

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新潟県東頸城郡顕聖寺村(現在の上越市浦川原区)出身[3][4]1917年大正6年)、早稲田大学政治経済科を卒業[1]。高田日報社主筆、高田時事新報社社長、高田毎日新聞社社長、上越新聞社顧問を歴任[4]高田市会議員、新潟県会議員に選ばれた[4]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後は日本進歩党の結成に参加するが、公職追放を受ける[5]。追放中の1947年(昭和22年)、死去。

著書

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  • 『狸の皮』(1925年、高田日報社)
  • 『雪に生活する』(1936年、高田毎日新聞社)

脚注

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  1. ^ a b 『早稲田大学紳士録』p.82
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』p.49
  3. ^ 「雪の石田」と呼ばれた人”. 上越市. 2017年11月17日閲覧。
  4. ^ a b c 『衆議院議員略歴』
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面

参考文献

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  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。