神部忍(みわべのおし、生没年不詳)は、『粟鹿大明神元記』に記された古墳時代豪族

 
神部忍
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 神部氏
父母 父:神部速日[1]物部小事意富安姫命[1]
兄弟 神部弟
物部小事小安姫命[1]
神部伎閇神部席屋[1]
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概要

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神功皇后(原文では磐余稚佐倉宮御宇息長大足姫天皇)の時に、但馬国の人臣を率い、粟鹿大神の荒術魂を船頭に取り着け、百済に渡った。倭へ返って来ると、朝廷に神事でお仕えし、そのために、但馬国造に定められ、神宝の楯2面、大刀2柄、鏡2面、頸玉1箇、手玉1箇、足玉1箇、神田75町9段180歩、神戸2烟を給わった。忍はこれらを粟鹿大神に給い、宝蔵を立て、神宝の物を収めた。そして、初めて祭主の忌を始め、上呼は11月の寅の日、中呼は子の日、下呼は12月の申の日に祭り鎮ることとしたという[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d 『粟鹿大明神元記』
  2. ^ 前之園亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値:「神」概念の形成と出雲神話を中心に」『学習院大学文学部研究年報』第23号、学習院大学文学部、1976年、115-147頁、hdl:10959/3058ISSN 04331117CRID 1520290885415946240