穴水城(あなみずじょう)は、能登国鳳至郡穴水村川島、現在の石川県鳳珠郡[1]穴水町川島にあった日本の城。現在は町の史跡に指定され[2]、穴水城址公園として整備されている[3]

logo
logo
穴水城
石川県
別名 岩立城、白藤城、白波城、岩木城
城郭構造 山城
築城主 長氏
築城年 1186年文治2年)
主な城主 長氏、温井氏長沢光国(上杉氏)、前田氏
廃城年 1583年天正11年)
遺構 曲輪
指定文化財 穴水町指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯37度13分47.3秒 東経136度54分50.6秒 / 北緯37.229806度 東経136.914056度 / 37.229806; 136.914056座標: 北緯37度13分47.3秒 東経136度54分50.6秒 / 北緯37.229806度 東経136.914056度 / 37.229806; 136.914056
地図
穴水城の位置(石川県内)
穴水城
穴水城
テンプレートを表示

概要 編集

長きに渡り守護大名畠山氏の重臣、長一族の居城であった。長氏の祖にあたる長谷部信連によって1186年文治2年)に築城されたと伝えられている[2]

畠山家滅亡後、1577年天正5年)に上杉謙信の手に渡り[3]、越中国人で上杉麾下の長沢光国が入城した。1578年(天正6年)に謙信が急死すると、長連龍織田信長の支援の下、奪還に成功した(菱脇の戦い)[4][5]1583年(天正11年)に廃城となった[2]

現状 編集

城跡は公園となっており、が植えられている。また、長氏34代・長昭連の揮毫による穴水城趾の石碑が建てられている。三の丸跡から穴水港が遠望できる。

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ 明治期に合併によって鳳至郡・珠洲郡の境界が消滅することから、これまでの2郡の全域を一括した新たな郡として新設された。(「角川日本地名大辞典 17 石川県」)
  2. ^ a b c 「穴水城」「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会(石川県農林水産部里山振興室内)公式HP
  3. ^ a b 穴水町 2019 pp.16-17
  4. ^ 「県指定有形文化財 長九郎左衛門尉宛織田信長朱印状」(石川県立歴史博物館)など
  5. ^ 「織田信長朱印状」石川県公式HP

参考文献 編集

関連項目 編集