穴見寛

日本の高校野球指導者

穴見 寛(あなみ ひろし、1947年 - 2021年12月5日[2])は、福岡県出身の日本の高校野球指導者。

穴見 寛
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県[1]
生年月日 1947年
没年月日 2021年12月5日(74歳没)
選手情報
ポジション 捕手[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴 編集

三池工業高校時代には原貢監督の下でプレー[2]1965年夏の甲子園大会には8番・捕手で出場し、2年生エースの上田卓三をリードし、同校の初出場初優勝に貢献[2]。また、かつての活況を失っていた「炭鉱の町」・三池を湧かした[2]

高校卒業後は首都大学野球東海大学に進学[2]。同期に上田次朗、1学年下には高校からの後輩である林田俊雄がいた。

大学卒業後は、恩師の原が監督を務めていた東海大相模高校のコーチとして赴任し、原が東海大の監督に就任後には同校の監督を引き継いだ[2]。1977年には夏の甲子園に出場[1]

その後は地元の福岡に戻り、系列校の東海大第五高校の監督に就任[2]1985年の選抜大会で甲子園初出場初勝利に導いた[2][1]。2009年に監督を勇退後も同校の野球部で指導を継続するとともに、全国高校野球選手権福岡大会の解説者も務めていた[2]

2021年12月5日午後2時15分に胆管ガンのため、宗像市の自宅で死去した[2]。74歳没。

脚注 編集