章順王后
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章順王后 韓氏(しょうじゅんおうこう かんし、チャンスンワンフ ハンシ、장순왕후 한씨、1445年2月22日 - 1461年1月5日)は、李氏朝鮮第8代国王睿宗の最初の妃。本貫は清州韓氏。
章順王后 | |
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朝鮮王妃 | |
別称号 | 徽仁昭徳章順王后(諡号) |
出生 |
1445年2月22日 |
死去 |
1461年1月5日 |
配偶者 | 睿宗 |
子女 | 仁城大君 |
氏族 | 清州韓氏 |
父親 | 韓明澮 |
母親 | 驪興閔氏 |
生涯
編集章順王后は第7代国王世祖の重臣で実力者である韓明澮と黄驪府夫人驪興閔氏の娘として生まれ、1460年、王世子であったと婚姻し世子嬪となった。1461年、長男の仁城大君を出産したが産褥死した[1]。「章順嬪」の諡号が送られ、睿宗即位により「章順王后」と追封された。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 尹貞蘭『王妃たちの朝鮮王朝』金容権(訳)、日本評論社、2010年9月。ISBN 978-4-535-58582-9。