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竹敷村

日本の長崎県下県郡にあった村
この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。

竹敷村(たけしきむら)は、長崎県下県郡にあった村。1932年(昭和7年)に南隣[1]雞知村に編入した。

たけしきむら
竹敷村
廃止日 1932年4月1日
廃止理由 編入合併
竹敷村雞知村
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
総人口 1,101
角川日本地名大辞典42 長崎県「竹敷村(近代)」、1925年)
隣接自治体 下県郡雞知村船越村
竹敷村役場
所在地 長崎県下県郡竹敷村大字竹敷
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現在の対馬市美津島町の中部、浅茅湾及び大口瀬戸に接する北岸一帯にあたる。

地理編集

対馬島の中部に位置する。村域は複雑で、大字尾崎の全域・大字黒瀬の西部(黒瀬湾を挟んで西側)・大字竹敷の東部(高坊浦と白連江浦に接する北岸一帯)の3箇所が飛地となっている[2][3]

  • 山:鶴ヶ岳、飯盛山、大比良壇山、城山、持山、飛岳、曲網代岳
  • 島嶼:島山島、黒崎島、鼠島、志々加島、志々加小島、車島、頭切島、化物島、境島
  • 港湾・海域:大口瀬戸浅茅湾、黒瀬湾、竹敷港

沿革編集

当村域の一帯について、中世は「与良郡」の一部、近世は「与良郷」の一部に属した[4][5][6]。また『津島紀事』によれば、与良郷内には1府30村[7]が属していたとされる[6]。与良郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[6]

明治以降は軍事拠点としての性格を強める。日清戦争以降、竹敷港は艦隊根拠地としての重要性が一段と高まり[8]、1896年(明治29年)に日本海軍初の要港部となる竹敷要港部が設置された[9][10]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、竹敷村・黒瀬村・尾崎村・島山村・昼ヶ浦村が合併し下県郡竹敷村が発足[11]
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 日本海軍の竹敷要港部が廃止[12]
  • 1932年(昭和7年)4月1日 - 雞知村に編入し、竹敷村は自治体として消滅。

地名編集

大字を行政区域とする。

  • 尾崎(おさき)
  • 黒瀬(くろせ)
  • 島山(しまやま)
  • 竹敷(たけしき)
  • 昼ヶ浦(ひるがうら)

名所・旧跡編集

参考文献編集

脚注編集

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1932年1月1日
  2. ^ 村役場所在地の大字竹敷(西部)を基点とした場合。島嶼部は除く。
  3. ^ 長崎県下県郡竹敷村 (42B0030007) | 歴史的行政区域データセットβ版 Geoshapeリポジトリ
    ※上記リンク先地図の着色箇所に加え、大字竹敷の東部飛地である現在の対馬空港北方も村域となる。
  4. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  7. ^ 府中である厳原城下のほか、鷄知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・横浦・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  8. ^ a b 九州の近代土木遺産『深浦水雷艇隊基地跡』 公益社団法人土木学会西部支部
  9. ^ 勅令第3号「要港ヲ定ムルノ件」 官報.1896年1月21日
  10. ^ 勅令第237号「竹敷要港境域」 官報.1896年6月3日
  11. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  12. ^ 勅令第59号「要港ヲ定ムルノ件及竹敷要港境域ノ件廢止」 官報.1923年3月26日

関連項目編集