第十三号輸送艦
第十三号輸送艦(だいじゅうさんごうゆそうかん、旧字体:第十三號輸󠄁送󠄁艦[注釈 3])は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の13番艦。離島に対する輸送作戦を幾度も成功させて太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事したのち、賠償艦としてソビエト連邦に引き渡された。
第十三号輸送艦 | |
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復員庁特別輸送艦 輸第十三号 (特別保管艦に指定後、横須賀港) | |
基本情報 | |
建造所 | 三菱重工業横浜造船所 |
運用者 |
大日本帝国海軍 第二復員省/復員庁 ソビエト連邦海軍 |
艦種 |
輸送艦(日本海軍) 特別輸送艦(第二復員省/復員庁) 機雷敷設艦/救難艦(ソビエト連邦海軍) |
級名 | 第一号型輸送艦 |
建造費 | 6,912,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1944年7月5日 |
進水 | 1944年9月30日 |
竣工 | 1944年11月1日 |
除籍 |
1945年11月20日(日本海軍) 1947年8月28日(復員庁) 1964年2月28日(ソビエト連邦海軍) |
改名 |
第十三号輸送艦(1944年9月) 輸第十三号(1945年12月) Тюмень-Ула(1947年8月) Сатурн(1948年7月) |
要目(注釈無き限り計画時) | |
基準排水量 | 1,500トン |
公試排水量 | 1,800トン |
全長 | 96.00m |
水線長 | 94.00m |
垂線間長 | 89.00m |
最大幅 | 10.20m |
深さ | 6.50m |
吃水 | 3.60m |
ボイラー | 三号乙二九〇一型ロ号重油専焼缶2基[注釈 1] |
主機 | 艦本衝動式三号丙五四八一型タービン1基[注釈 1] |
推進 | 1軸 |
出力 | 9,500hp |
速力 | 22.0ノット |
燃料 | 重油 415トン |
航続距離 | 18ノットで3,700カイリ |
乗員 | 計画時148名 |
搭載能力 | 貨物260トン、14m特型運貨船4隻 |
兵装 | 40口径12.7cm連装高角砲1基、25mm機銃 3連装3基、連装1基、単装4基、爆雷18個 |
搭載艇 |
13m特型運貨船1隻 6mカッター2隻 |
レーダー | 22号電探1基[注釈 1] |
ソナー |
九三式水中探信儀三型1基[注釈 1] 九三式水中聴音機二型甲小艦艇用1基[注釈 1] |
その他 | 九九式測探儀[注釈 2] |
艦歴
編集日本海軍
編集マル戦計画の計画名特務艦特型、仮称艦名第2913号艦として計画。1944年7月5日、三菱重工業横浜造船所で建造番号554番船として起工。9月1日、第十三号輸送艦と命名。同日付で第一号型輸送艦の13番艦に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。30日進水。10月5日、艤装員事務所を三菱重工業横浜造船所内に設置し事務開始。
11月1日竣工し、連合艦隊附属第二輸送隊に編入され、本籍を横須賀鎮守府に定められる。以後、主として父島、母島、八丈島、硫黄島に対する輸送任務に従事。
1945年1月1日現在、横須賀鎮守府作戦指揮下。2月10日、硫黄島で揚塔中にP-38戦闘機の空襲を受け、編隊1番機とされる1機を撃墜。単装機銃2基破損。11日、硫黄島での揚塔を終えて父島へ向け航行中、北硫黄島付近でB-25爆撃機の空襲を受け、ロケット弾2発が命中し浸水。これらの戦闘で戦死行方不明25名、負傷37名を出す。同日父島二見港に入港し応急修理。12日、艦を沈めずに父島に入港させた行動により、以下の賞詞が本艦に出された。
海󠄀上護衞總部隊󠄁司令長官
第十三號輸󠄁送󠄁艦ガ十一日北硫黃島附近󠄁ニ於󠄁テ敵B-二五二機乃至三機ト交󠄁戰「ロケット」彈二發ヲ受󠄁ケ大火災ヲ生ジ艦長負󠄁傷准士官以上ノ大半󠄁及󠄁兵員多數ヲ失ヒシニモ拘ハラズ應急󠄁處置適󠄁切ニシテ火災ヲ速󠄁ニ消󠄁失損害󠄂ヲ極限無事父󠄁島ニ歸投シ得タルハ各員克ク其ノ職分󠄁ニ邁進󠄁艦ノ保安ヲ全󠄁フシタルモノニシテ其ノ行爲ハ大イニ可ナリ — 2月12日附 横鎮機密第一二〇九五八番電
15日、宇佐美港に仮泊。18日、横須賀着。22日、横須賀海軍工廠第五船渠に入渠。3月30日まで修理と整備を行う。この修理の際に三式一号電波探信儀三型を設置し、九三式水中探信儀三型を三式水中探信儀二型甲改一に換装した。入渠中の2月27日には横須賀鎮守府司令長官から以下の表彰を受けた。
表彰狀
第十三號輸󠄁送󠄁艦
右ハ昭和二十年二月󠄁十二日北硫黃島附近󠄁ニ於󠄁テ來襲敵大型機ト交󠄁戰ロケット彈二發ヲ蒙リ大火災ヲ生ジ艦長負󠄁傷准士官以上ノ大半󠄁及󠄁兵員ノ多數ヲ失ヒタルモ乘員一同終󠄁始敢鬭被害󠄂ニ對スル應急󠄁處置適󠄁切ニシテ速󠄁カニ火災ヲ消󠄁火被害󠄂ヲ極限シ無事父󠄁島ニ歸港󠄁スルヲ得更󠄁ニ小笠原方面敵機動部隊󠄁ノ情󠄁報アルヤ父󠄁島ヨリ東京灣方面避󠄁航ノ命ニ依リ適󠄁切ナル計畫ノ下少數ノ乘員ヲ以テ協心戮力克ク橫須賀ニ歸投スルヲ得タリ
右ノ行爲ハ以テ他ノ範ト爲スニ足ル
仍テ茲ニ之ヲ表彰ス — 昭和二十年二月二十七日 横須賀鎭守府司令長官 海軍中将正四位勲一等功二級 塚原二四三
4月14日、横須賀に在泊中、輸送隊司令旗を第16号輸送艦から移揚。
5月5日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれ、佐世保鎮守府作戦指揮下に編入。10日横須賀を発し、湊での荷役と呉海軍工廠での整備をはさみ、佐世保へ回航。以後、佐世保方面の輸送に従事。
7月10日、竹敷向け輸送中に対馬黒埼島で座礁。第102号海防艦らの協力により離礁し、竹敷での荷役後は立神らに曳航され、16日佐世保着。17日から佐世保海軍工廠第七船渠に入渠し修理と整備を行う。
終戦時は佐世保で修理中。
第二復員省-復員庁
編集1945年8月26日、横須賀鎮守府第一予備輸送艦に定められる。11月20日、除籍。
12月1日、第二復員省の開庁により、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、復員輸送に従事。12月20日、艦名を輸第十三号に改称。
1946年7月26日、特別保管艦に指定され、横須賀地方復員局特別保管艦艇第七保管群に配される。10月21日から11月24日まで、石川島造船所で整備[1]。
1947年2月~4月、極洋捕鯨に貸し出され、第二次小笠原捕鯨に従事。
8月8日から13日まで、浦賀船渠で整備[2]。25日、ソビエト連邦に対する賠償艦第三次引渡しのため佐世保を出港。28日、特別輸送艦の定めを解かれ、ナホトカでソビエト連邦に引き渡された[3]。12月15日、本艦の残務整理が終了した。
ソビエト連邦海軍
編集1947年8月28日、「チュメニ万歳」という意味のチュメニ ウラ(ロシア語:Тюмень-Улаチュミェーニ ウラ)に改称されて再武装され、機雷敷設艦となった。
1948年7月5日、既存の武装を撤去し、新しい武装を装備する改装を受ける。同時に救難艦に類別変更され、「土星」という意味のサトゥールン(ロシア語:Сатурнサトゥールン)に改称された。
1964年2月28日、海軍より除籍され、スクラップとして売却された。
第十三号輸送艦長/輸第十三号艦長
編集- 艤装員長
- 新村孝邑 大尉/少佐:1944年10月1日 - 1944年11月1日
- 輸送艦長/艦長
- 新村孝邑 少佐:輸送艦長 1944年11月1日 - 1945年3月10日
- 河野修 少佐:1945年3月10日 - 1945年5月10日
- 久保武 少佐/中佐:1945年5月10日 - 1945年11月10日[注釈 4]
- 外山三郎 第二復員官:1945年12月5日 - 艦長 1945年12月20日 - 1946年1月14日
- 永松熊一 第二復員官:1946年1月21日 - 退任年月日不明[注釈 5]
- 田久保龍雄 復員事務官:1946年8月26日 - 1946年11月20日
- 西村春芳 復員事務官:1946年11月20日 - 1947年4月26日
- 本田幸人 復員事務官:1947年4月26日 - 1947年6月16日
- 橋本一郎 復員事務官:1947年8月5日 - 1947年8月28日[注釈 6]
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 海軍省
- 法令、令達
- 昭和19年9月1日付 達第288号、内令第1016号、内令第1019号、内令員第1652号。
- 昭和19年11月1日付 内令第1225号、内令第1226号、内令員第2158号、内令員第2159号。
- 昭和20年8月26日付 内令第749号。
- 人事発令
- 昭和19年10月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1612号。
- 昭和19年11月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1638号。
- 昭和20年3月19日付 秘海軍辞令公報 甲 第1750号。
- 昭和20年5月22日付 秘海軍辞令公報 甲 第1806号。
- 昭和20年11月22日付 海軍辞令公報 甲 第1989号。
- 戦時日誌、その他
- 昭和19年10月13日付 秘海軍公報 第4825号。
- 横須賀防備戦隊戦時日誌。
- 第十三号輸送艦戦時日誌。
- 第十三号輸送艦戦闘詳報(2月10日-11日対空戦闘)。
- 第二輸送隊戦時日誌。
- 法令、令達
- 第二復員省
- 法令、令達
- 昭和20年12月1日付 内令第6号。
- 昭和20年12月20日付 内令第12号、官房人第19号。
- 人事発令
- 昭和21年1月7日付 第二復員省辞令公報 甲 第27号。
- 昭和21年2月6日付 第二復員省辞令公報 甲 第53号。
- 昭和21年2月16日付 第二復員省辞令公報 甲 第61号。
- 法令、令達
- 復員庁第二復員局
- 法令、令達
- 昭和21年7月1日付 復二第67号。
- 昭和21年8月23日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第187号。
- 昭和21年9月5日付 復二第230号別表。
- 昭和22年8月28日付 復二第605号。
- 昭和22年12月27日付 第二復員局公報 第165号ノ2。
- 人事発令
- 昭和21年9月6日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第51号。
- 昭和21年11月29日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第99号。
- 昭和22年5月6日付 復員庁第二復員局辞令公報 第21号。
- 昭和22年6月27日付 復員庁第二復員局辞令公報 第44号。
- 昭和22年8月18日付 復員庁第二復員局辞令公報 第52号。
- その他報告等
- 横須賀地方復員局運航部『復員輸送艦船修理予定表』(21-10-21現在、21-11-11現在、21-12-9現在)。
- 横須賀管船部『入渠予定表 22.7.2』。
- 昭和22年8月30日付 統制官葦埼艦長作成『第三回対「ソ」連引渡艦艇「ナホトカ」廻航報告』。
- 法令、令達
- 『新造船建造史』、三菱重工業株式会社横浜製作所、1988年。
- 世界の艦船 No. 522 増刊第47集 『日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
- 日本造船工業会 『特務艦一般計画要領書』。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 50 日本海軍艦艇シリーズ 『掃海艇・輸送艦』、潮書房、1981年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。