筒井 順興(つつい じゅんこう)は、大和国戦国大名筒井順尊の次男。松倉政秀の父とも言われる。筒井順慶の祖父。生年月日は明応2年7月7日1493年8月18日)とも言われる[1]。号は良舜坊。

 
筒井順興
時代 戦国時代
生誕 文明16年(1484年
死没 天文4年7月5日1535年8月3日
別名 良舜坊
氏族 筒井氏
父母 父:筒井順尊
兄弟 順賢?、順興
越智家令
順昭順政順国福住順弘
十市遠忠室ら
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略歴

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大永元年(1521年)、兄・順賢の跡を継いで当主となり[2]越智氏と和睦してその娘を娶った。同年3月、10代将軍足利義稙管領細川高国と仲違いして和泉国を経て淡路島に出奔した後10月にに上陸、畠山尚順畠山義英が呼応して畠山稙長(尚順の子)と戦った時、順興は越智家栄と共に稙長側に参陣、義英軍を打ち破った。その後も稙長軍に属して義英と戦った。

享禄元年(1528年)、柳本賢治が大和に侵攻して苦戦を強いられるが、享禄3年(1530年)に賢治が暗殺されたのも束の間、天文元年(1532年)に大和で一向一揆が発生、十市遠治や越智氏と協力して鎮圧に努めた(天文の錯乱)。

衰退した筒井氏を再興して大和に勢力を築き、十市氏など周辺の国人領主と縁戚関係を結ぶなどして勢力を拡大していった。

脚注

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  1. ^ 断家譜
  2. ^ 順賢と順興は兄弟でなく同一人物ともされる。幡鎌一弘は房名の一致からそれを指摘し(『衆徒の記録から見た筒井氏』筒井順慶顕彰会、2001年)、安田次郎も藤王(順賢)の年齢や順興の享年からそれを妥当とする(「筒井氏の「牢籠」と在地支配」、勝俣鎭夫編『寺院・検断・徳政』山川出版社、2004年、125-126頁)。金松誠『筒井順慶』(戎光祥出版、2019年)にもこの説は引き継がれている。

外部リンク

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