米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - 2016年6月20日[1])は、秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)出身の高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で最高位は幕下75枚目。本名、米村勉(よねむら つとむ)。

米村 天心
プロフィール
リングネーム 米村 天心
本名 米村 勉
身長 179cm
体重 110kg
誕生日 (1946-12-16) 1946年12月16日
死亡日 (2016-06-20) 2016年6月20日(69歳没)
出身地 秋田県鹿角郡
スポーツ歴 大相撲
デビュー 1972年9月9日
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来歴

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高島部屋に入門して米村の四股名で1962年9月場所初土俵、その後四股名を鹿角山(かづのやま)、高昇(たかのぼり)と改め幕下まで昇進したが、伸び悩み1969年1月場所限りで廃業となった。

大相撲廃業後は、金子武雄が経営するボディビル・ジムでトレーナーをしていたが1972年に金子の勧めで国際プロレスに入団。国際プロレス崩壊後は、マイティ井上とともに全日本プロレスに移籍した。ほどなく、妻の実家である福島県会津若松市で「ちゃんこ料理屋 やぐら太鼓」を経営し、全日本プロレスでは会津若松市などの会津地方遠征時のみレスラーとして活躍、後年は会津で興行を行っていたインディー団体にもスポット参戦していた。八角部屋所属の元力士・朱雀太(すざく ふとし)は長男。父の死後に現役を引退し、「やぐら太鼓」の経営を引き継いだ。

2016年6月20日に死去していたことが明らかになった。69歳没。

通算成績

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  • 生涯成績:117勝128敗21休(39場所)
  • 三段目優勝:1回(1966年3月場所)

場所別成績

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高昇 紀彰
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1962年
(昭和37年)
x x x x (前相撲) 西序ノ口16枚目
1–6 
1963年
(昭和38年)
東序ノ口6枚目
3–4 
東序二段102枚目
4–3 
東序二段61枚目
3–4 
東序二段68枚目
3–4 
東序二段81枚目
4–3 
東序二段40枚目
2–5 
1964年
(昭和39年)
東序二段62枚目
3–4 
西序二段71枚目
4–3 
西序二段56枚目
5–2 
東序二段5枚目
4–3 
西三段目78枚目
3–4 
西三段目90枚目
4–3 
1965年
(昭和40年)
西三段目74枚目
4–3 
西三段目56枚目
4–3 
西三段目39枚目
3–4 
東三段目54枚目
2–5 
東三段目74枚目
4–3 
東三段目51枚目
4–3 
1966年
(昭和41年)
東三段目39枚目
1–6 
東三段目70枚目
優勝
7–0
西幕下75枚目
1–6 
東三段目6枚目
2–5 
東三段目29枚目
5–2 
西幕下96枚目
3–4 
1967年
(昭和42年)
東三段目6枚目
3–4 
西三段目17枚目
休場
0–0–7
東序二段13枚目
5–2 
西三段目64枚目
2–5 
東三段目91枚目
3–4 
東序二段2枚目
5–2 
1968年
(昭和43年)
西三段目70枚目
3–4 
東三段目75枚目
4–3 
東三段目55枚目
3–4 
東三段目60枚目
3–4 
西三段目73枚目
3–4 
西三段目77枚目
休場
0–0–7
1969年
(昭和44年)
西序二段14枚目
引退
0–0–7
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

得意技(プロレス)

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ボディビル経験を活かした怪力技。
マッハ隼人から伝授されたルチャリブレの大技。

出演

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映画

外部リンク

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脚注

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