紀元前528年(きげんぜん528ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元226年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前528年と表記されるのが一般的となった。

世紀 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀
十年紀 前540年代 前530年代
前520年代
前510年代 前500年代
前531年 前530年 前529年
紀元前528年
前527年 前526年 前525年

他の紀年法 編集

できごと 編集

中国 編集

  • の費の長官である南蒯は、費を季孫氏から自立させようとしたが、費人の支持を得られず、に亡命した。南蒯は斉の景公に叛夫と罵られた。
  • 平王が鬬成然を殺害し、養氏の一族を滅ぼした。
  • 莒の著丘公が死去し、蒲余侯茲夫が公子意恢を殺害した。郊公が斉に亡命し、斉から己庚輿が迎えられて、国君として立った。
  • の邢侯と雍子が鄐の田土をめぐって争っていたが、羊舌鮒(叔魚)が邢侯に罪ありと判決したため、邢侯が怒って、羊舌鮒と雍子を殺害した。韓起(韓宣子)の諮問を受けた羊舌肸(叔向)は3人を同罪とし、これによって邢侯は処刑され、雍子と羊舌鮒の遺体が市に晒された。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集