紀長江
経歴編集
弘仁14年(823年)従五位下に叙爵。天長7年(830年)従五位上、天長9年(832年)正五位下、天長10年(833年)従四位下と淳和朝の後半に急速に昇進した。承和7年(840年)の淳和上皇崩御の際には装束司を務めている。
仁明朝では備中守・民部大輔・備前守・大和守・大和国班田使次官・大宰大弐と主に地方官を務める。この間の承和9年(842年)正月に従四位上に叙せられ、同年8月には承和の変により皇太子を廃された恒貞親王が内裏から淳和院に移された際、淳和院から親王を出迎えに参上した[1]。また、承和15年(848年)大宰大弐の官職にあった際、豊後国で雪団子状の形をした白亀を得た事を瑞兆として朝廷に報告を行っている[2]。
官歴編集
『六国史』による。
系譜編集
注記のないものは『尊卑分脈』による。