紙牌(チーパイ、しはい)とは、中華圏の伝統的なゲーム用のカードの総称である。中国のカードは一般的にトランプなどに比べて枚数が多く、幅の細いものが多い。

紙牌
左から:博古葉子(酒牌)、曹州紙牌、三国葉子、東莞牌
各種表記
繁体字 紙牌
簡体字 纸牌
拼音 zhǐpái
発音: チーパイ
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中国語ではゲーム用のカードやタイルを総称して「牌」と呼び、区別が必要なときはその材料によって「骨牌・牙牌・紙牌」のように呼び分ける。広義では中国以外のトランプや花札なども紙牌に含まれるが、この記事は中国の伝統的な紙牌に限定する。

歴史 編集

馬弔・葉子戯 編集

遅くとも15世紀の中国にはすでにカードゲームがあり、当時の文献では「葉子戯」と呼ばれている。葉子戯に使うカードは「文銭・索子・万字・十字」の4つのスートからなる40枚のカードであり、このカードを使ったゲームには「馬弔・看虎・扯章」などのゲームが知られている。代にはこのカード自身のことも馬弔と呼ぶようになったので、ここでも馬弔と呼ぶことにする。

馬弔の起源は明かでない。9世紀から10世紀にかけても同名の「葉子戯」という名のゲームが行われていたが、こちらはカードゲームではなかった可能性が高い。馬弔に水滸伝の人物が描かれていることから見て、水滸伝の元になった事件の起きた12世紀をさかのぼることはないと思われる。カードが銭をモチーフとしていることから、最初は紙幣そのものを使っていたのがカードに発展したという説もある[1]

西洋のトランプの起源がこのカードにあるという有力な説がある[1]。これが正しいとすれば、西洋でトランプの存在が確認される14世紀よりもかなり前から馬弔が存在したことになる。

遊湖・混江・黙和・碰和・十湖 編集

清代にはいると、馬弔の「十字」スートのうち「千万貫」1枚以外を省くことが盛んになった。この「千万貫」(「老千」などと呼ばれる)と、文銭スートの11枚のうちの「空没文(空湯)」と「半文銭(枝花)」がスートから独立した結果、9枚ずつの3スートおよび「老千・枝花・空湯」からなる30枚のカードが成立した(もっとも明でもすでに「看虎・扯章」では30枚しか使用していなかった)。18世紀の『談書録』は、4スート系の紙牌を「馬弔」、3スート系の紙牌を「遊湖」として区別している[2]

また、この30枚ひと組のカードを複数使うことも行われるようになった。上記『談書録』には、2組を使った60枚の遊湖が行なわれていることが記されている。18世紀の『牧猪閑話』によると、「黙和」というゲームでは2組60枚、「碰和」では4組120枚または5組150枚を使用した[3]。18世紀末の『揚州画舫録』によると「十壺」というゲームでは30枚のカード4組の上にさらに「福・禄・寿・財・喜」の5枚(五星)を加えた125枚のカードを使用していた[4]。(中国語版記事

いくつかの書には馬弔・遊湖と並んで「混江」という名前が記されている[5][6]。これが遊湖とどう異なるのか判然としないが、『揚州画舫録』に従えば30枚ひと組だけを使うものだったようである。

スートの呼び名も変化した。銭がモチーフであることが忘れられ、文銭は「餅(ピン)」、それより時代が下るが索子も「条(ティアオ)」と呼ばれるようになった。

清代にはゲーム内容も変化した。明の「馬弔・看虎・扯章」はいずれも天九のようなトリックテイキングゲームであったが、清代にはラミー系のゲームが行われるようになった。遊湖を使ったゲームの名前として「黙和・碰和・十湖(十壺)」などが知られているが、いずれもラミー系のゲームであったらしい。麻雀はこれらのゲームから発展したと考えられる。

18世紀の『紅楼夢』47回には賈母が待っている二餅を鳳姐が出すシーンがあるが、これもラミー系のゲームを遊んでいることが明らかである。ほかに『鏡花縁』(1818)第74回・『絵芳録』(1894)第20回などにも同様のゲームをやっているシーンがある。

清代には紙牌を使った賭博も、紙牌の製造・販売も禁止されていた[5]。そのためもあり、『牧猪閑話』を除くと、紙牌に関する詳しい情報を記した書は少ない。

19世紀以降になると西洋人による記述が見られるようになる。チャトーは牌九牌を紙牌化した「点子牌」のほか、9枚ずつの「万・餅・索」のスートと「千万・紅花・白花」からなる30枚のカードについて「千万紙牌」の名で紹介し、このほかに「百子牌」「千万人牌」およびシャンチーの駒の名を書いた「車馬炮」というカードがあったことを記している[7]

19世紀末にウィリアム・ヘンリー・ウィルキンソンは中国各地から多種類のカードを収集した。ステュアート・キューリンの調査によると、その中でもっとも多いのは3スートのカードで17種類あり、その枚数は60枚(2種)・120枚(7種)・123枚・125枚(4種)・126枚・155枚(2種)などさまざまであった。4スートのものは2種類あった。ほかに麻雀を紙牌化したものが1種、ドミノ風の紙牌が14種、シャンチーの駒の名が書いてあるものが5種類、その他の数字などを書いたものが5種類あった[8]

ウィルキンソンはさらに中国のカードゲームをトランプ風にアレンジした61枚のカードを作って、これを「カンフー(Khanhoo)」(英語版記事)と名づけて西洋に導入しようとした。Khanhooは明代の「看虎」と同じ語であると思われるが、トリックテイキングゲームではなくラミー系のゲームであった。麻雀とは異なり、あまり注目されずに終わった[9]

「フー」という用語 編集

伝統的カードゲームの名にしばしば見られる「湖・糊・胡・壺・和」などはすべて「フー(hú)」と読み、「勝ち・得点」を意味する語である。明代の「看虎」の「虎(hǔ)」もおそらく同じであろう。

現代の紙牌 編集

地方ごとにさまざまなカードが存在するが、現代では衰退しているものも少なくない。

水滸牌 編集

 
山東濰坊楊家埠の水滸牌

馬弔・遊湖につながる伝統的なカードである。4つのスートをもつ伝統的なカードは現在ではほとんど絶滅しており、「客家六虎牌」、「六紅牌」のみが知られている。それ以外はすべて3つのスートを持つ。(中国語版記事

 
客家六虎牌
  • 客家六虎牌:線(綫)・索・貫・拾の4つのスートが9枚ずつに鹿花・雲線の2枚を加えた38枚を使用する。一拾(百子)・八拾・九拾・一線(毛公)・九線・九索・九貫・雲線の8枚に赤い印がついている。天九に似たトリックテイキングゲームがある。このゲームはプレイントリックゲームで、4人で行うが、うち1人は参加しない。手札は12枚で、同じランクの3・4枚または同一スートで数値の連続した3枚以上をまとめて出すことができる。毛公と百子はリードでは最強だが、フォローでは最弱である。(中国語版記事
  • 南通長牌:江蘇省のカード。万・条・丙の3つのスートと千字・白花・紅花からなり、同一のカードが4枚ずつある120枚のカード。4人中ひとりが交代に休んで3人で行う、手札が22枚の麻雀に似たゲームがある。(中国語版記事
  • 咀胡(嘴胡):内モンゴル自治区のカード。やはり120枚のカードで、その遊び方も南通長牌によく似ており、やはり4人中ひとりが交代に休む。
  • 曹州紙牌(水滸紙牌):山東省のカード。万・条・并の3つのスートの1から9までに紅花・白花・老千を加えた30種類からなる。同じカードが4枚ずつあるので、全部で120枚になる。万のスートには水滸伝の人物が描かれている。五万・八万・紅花・老千には赤い印がついている(老千には2つの印がつく)。遊戯方法は麻雀に似る。
  • 東莞牌:香港のカード。餅・条・公と呼ばれる3つのスートの1から9までに大紅・小紅・紙花およびワイルドカードを加えた31種類からなる。同じカードが4枚ずつあるので、全部で124枚になる。九条・大紅・小紅に赤い印がついている。15枚の手札に1枚加えて8つのペアにして上がる麻雀風のゲームがある。
  • トートム(tổ tôm):ベトナムのカード。文・索・万の3つのスートの1から9までにタンタン(湯)・チーチー(枝)・オンラオ(老)を加えた30種類からなる。同じカードが4枚ずつあるので、全部で120枚になる。八万・九万・八索・九索・タン・チー・ラオには赤い印がついている。麻雀に似たいくつかのゲームがあるが、19枚の手札に1枚加えて10の対を作るチャン(chắn)と呼ばれるゲームは東莞牌によく似ている。(ベトナム語版記事

字牌 編集

 
湖南の字牌

一から十まで、および壱から拾までの漢数字が書かれているもの。

  • 跑符子(跑胡子):湖南省のカード。1から10までのランクがあり、ランクが通常の漢数字で書かれたカードと大字で書かれたカードの2種類のスートが存在する。2・7・10が赤字で書かれている。同じカードが4枚ずつあるので、全部で80枚になる。遊戯方法は麻雀に似る。(中国語版記事
  • 瀘州大弐:これも四川省のカード。構成は上の跑符子と同様。

象棋牌 編集

シャンチーの駒の名前が書かれているカード。枚数やスートの数にさまざまのものがある。シャンチーの駒は大きさがすべて同じで、かつ裏に何も書かれていないため、地域によってはシャンチーの駒自身をカードのかわりに使うことも行われている。枚数や構成にさまざまなものがある。

  • 四色牌:シャンチーの駒7種類×4スートで、同じカードが4枚ずつあるので、全部で112枚になる。ラミー系ゲーム用。
  • 釣魚牌:シャンチーの駒7種類×2スートで、同じカードが4枚ずつあるので、全部で56枚になる。(中国語版記事
  • タム・クック(tam cúc、三菊):ベトナムの2スート32枚のカード。枚数はシャンチーと同じ。トリックテイキングゲーム用。(ベトナム語版記事

紙骨牌 編集

牌九牌がカード化したもの。(中国語版記事

 
十五湖
  • 十五湖:香港などのカード。牌九と同じく21種類の目の種類があるが、同じカードが4枚ずつあるので84枚になる。遊戯方法はいくつかあり、天九に似たトリックテイキングゲームのほか、牌九と同様に釣魚や斜丁を遊ぶこともできる。
  • 四川長牌:四川などのカード。
  • 花湖牌:江南などのカード。
  • 花花牌:中国西北部などのカード。14種類の目の種類がある。

娃兒牌 編集

 
娃兒牌

上大人牌 編集

 
上大人牌
  • 上大人牌:湖北省のカード。上大人のうち、「也」を除く24文字を書いたカード。同じカードが4枚ずつあるので、96枚になる。(中国語版記事

脚注 編集

  1. ^ a b Wilkinson, William H. (January 1895). “Chinese Origin of Playing Cards”. American Antholopologist VIII: 61-78. http://healthy.uwaterloo.ca/museum/Archives/Wilkinson/Wilkinson.html. 
  2. ^ 汪師韓『談書録』紙牌「紙牌之戯、前人以為起自唐之葉子格・宋之鶴格・小葉子格。然葉格戯似兼用骰子、蓋与今之馬弔・遊湖異矣。世人多謂馬弔之後、変為遊湖、亦非也。二者一時並有、特馬弔先得名耳。馬弔本名馬掉脚、約言之曰馬掉、後又改掉為弔。(謂馬四足、失一則不可行。明時或訛脚為角。)遊湖広三十葉為六十葉、其名自康熙間始有。然前人用三十葉、其曰看虎(一名闘虎)、曰扯三章、曰扯五章者、即遊湖也。」
  3. ^ 金学詩『牧猪閑話』「又或於六十頁之外、更加一具為一百二十頁、則毎種各四頁。或更加半具為一百五十頁、則毎種各五頁、可集五・六人為之。毎人各得二十頁以外、其余頁皆掩覆、次第另抹、以備棄取、名曰碰和。」
  4. ^ 李斗(1795序)『揚州画舫録』巻11、虹橋録下「葉格以「馬弔」為上、揚州多用京王合譜、謂之「無声落葉」。次之碰壺、以十壺為上。四人合局、三人輪闘、毎一人歇、謂之「作夢」。馬弔四十張、自空堂至於万万貫。十万貫以下、均易被攻。非謹練、鮮無誤者。九文銭以上、皆以小為貴、至空堂而極。作者所以為貪者戒也。紙牌始用三十張、即馬弔去十子一門、謂之「闘混江」。後倍為六十、謂之「擠矮」。又倍之為一百二十張、五人闘、人得二十張、為「成坎玉」。又有「坎姤・六么・心算」諸例。近今尽闘十壺、而諸例倶廃、又増以福・禄・寿・財・喜五星、計張一百二十有五。五星聚于一人、則共賀之。色目有断么・飄壺・全葷諸名目。」
  5. ^ a b 『大清律例』刑律・雑犯「以馬弔・混江賭博財物者、倶照此例治罪」「凡民人、造売紙牌・骰子為首者、発辺遠充軍」
  6. ^ 王士禎(1709序)『分甘余話』巻一・馬弔牌「近馬弔漸及北方。又加以混江・遊湖種種諸戯。」
  7. ^ Chatto, William Andrew (1848). Facts and speculations on the origin and history of playing cards. John Russel Smith. pp. 55-59 
  8. ^ Culin, Stewart (1895). Korean games with notes on the corresponding games of China and Japan. University of Pennsylvania. pp. 134-147 
  9. ^ Culin, Stewart (October 1924). “The Game of Ma-Jong”. Brooklyn Museum Quarterly XI: 153-168. http://healthy.uwaterloo.ca/museum/Archives/Culin/Majong1924/index.html.  「This card game does not seem to have made any impression, the success of ma-jong resting in no small part upon the elegance of its mechanism as embodied in the domino-like pieces.」

外部リンク 編集