美努 財女(みの の たからめ、生没年不詳)は、奈良時代後期の女性。名は財刀自(たからとじ)とも記される[1]。のち一時的に宿禰位階従五位下

経歴 編集

称徳朝天平神護2年(766年)11月に、従六位下から従五位下に昇叙している[2]。その後、神護景雲4年(770年)4月に、弓削耳高らとともに宿禰姓となり、名前も「財刀自」と記されているが、「未だ歳月を経ずして、皆、本の姓に復す」として、ほどなくして「連」姓にもどされている[1]。これは財女たちと道鏡との関係が深かったことを指し示している[3]。財女の同族の美努奥麻呂も同年一時的に「宿禰」姓になり、称徳天皇崩御後の9月頃に「連」姓にもどされたことが、『正倉院文書』から明らかになっている[4][5][6][7][8][9][10]

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ a b 『続日本紀』巻第三十、称徳天皇 神護景雲4年4月11日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十七、称徳天皇 天平神護2年11月10日条
  3. ^ 岩波書店『続日本紀』5補注30 - 三三
  4. ^ 『大日本古文書』巻六 - 3頁
  5. ^ 『大日本古文書』巻六 - 12頁・52頁・12頁
  6. ^ 『大日本古文書』巻六 -44頁・54頁
  7. ^ 『大日本古文書』巻六 - 12頁
  8. ^ 『大日本古文書』巻六 - 44頁
  9. ^ 『大日本古文書』巻六 - 85頁・107頁
  10. ^ 『大日本古文書』巻六 - 4頁

参考文献 編集

関連項目 編集