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義山 望(よしやま のぞみ、1979年10月16日 - )は、日本のフリーアナウンサーニチエンプロダクション日テレイベンツ社)所属。

よしやま のぞみ
義山 望
プロフィール
愛称 のぞみん
出身地 日本の旗 日本 大阪府
生年月日 (1979-10-16) 1979年10月16日(39歳)
血液型 A型
最終学歴 近畿大学卒業
所属事務所 日テレイベンツ
部署 ニチエンプロダクション
(日テレイベンツの社内部署)
職歴 MC企画登録・四国放送派遣
(2002年 - 2005年)
TVQ九州放送
(2005年 - 2010年3月)
→現事務所登録
宮城テレビ放送派遣
(2010年7月 - 2012年3月)
活動期間 2002年-
ジャンル 不定
公式サイト 公式ブログ「のぞみんのHappy Life」
出演番組・活動
出演経歴 本文参照
その他 TVQで地上デジタル放送推進大使

目次

人物・経歴編集

大阪府出身。近畿大学在学中にアナウンサーを志望し、MC企画が設置していたアナウンサー養成校「中央放送研究会」で学んだ。

近大卒業後の2002年4月、正式にMC企画に登録の上で、四国放送にアナウンサーとして派遣され3年在籍。主に夕方のニュース番組を担当した。派遣契約満了後MC企画からも離れ、2005年4月、TVQ九州放送に移籍。社員アナウンサーとして報道からバラエティまであらゆるジャンルの番組を担当した[1]ほか、地上デジタル放送推進大使も務めた。

TVQでは5年勤めて後退社、暫くして個人ブログを始めた。その後も暫く福岡にとどまっていたものの、四国放送に在籍していた縁でそのキー局日本テレビ系列である日テレイベンツの社内部署、ニチエンプロダクションに人材登録。女性アナウンサーの妊娠が相次ぎ人手不足の状態に陥っていた宮城テレビ放送(ミヤテレ)に派遣される形で加わった。あくまでも“ヘルプ”であったため個人ブログはその後も更新された。2011年3月11日発災の東日本大震災では仙台で被災。これをきっかけに、宮城県内他社の民放女性アナウンサーと「SENDAI青い鳥プロジェクト」にサポーターとして参加し、震災孤児の支援や震災体験の風化抑止のために活動を続けた。

震災後ある程度状況が落ち着いた同年7月からは担当替えでスポーツ部にも籍を置き、東北楽天ゴールデンイーグルスベガルタ仙台など在仙プロスポーツチームの取材を行った。

ミヤテレでは震災後もベテランアナウンサーの妊娠があったものの、「(復興途上で)仙台を離れるのは心苦しいが今後のことを考えたいと思い」[2]2012年3月31日に派遣契約を1年9か月で終わらせ退社、仙台を離れた。なお、ニチエンプロダクションには籍を残しており、地元大阪で暫く充電の後[3]新たな活動を始めることにしている[4]

出演番組編集

四国放送編集

TVQ九州放送編集

ミヤギテレビ編集

NOBORDER NEWS TOKYO編集

脚注編集

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  1. ^ TVQは社内状況に応じ随時社員アナウンサーと派遣アナウンサーを混在させている。派遣アナウンサーは基本的にローテーション仕事以外の持ち番組(レギュラー)が一つしかなく、これに該当する義山の後任・天野は持ち番組が『ルックアップふくおか』しかない。一方社員アナウンサーで義山の同僚だった立花は義山同様複数ジャンルの番組を担当。
  2. ^ 義山のぞみ (2012年4月2日). “ありがとうございました!”. 義山のぞみオフィシャルブログ. amebaブログ. 2012年4月19日閲覧。なお、退社挨拶は既にこれより前の3月28日にミヤテレアナウンス日誌で行ったが、同サイトの仕様上最新5更新分しか表示されないため、退社後に同じ内容をアメーバブログに転記した。
  3. ^ 義山のぞみ (2012年4月10日). “旅立ちの日”. 義山のぞみオフィシャルブログ. amebaブログ. 2012年4月19日閲覧。
  4. ^ 長崎国際テレビアナウンサーで『情報ライブ ミヤネ屋』で地元関西を活動の拠点にしている藤村幸司もニチエンプロダクション所属。

関連項目編集

  • 立花麻理
    TVQ社員アナウンサー。義山を姉のように慕っていたほか、実家が岩手県にある。
  • 安斎摩紀深井ゆきえ
    ミヤギテレビアナウンサー。震災前後に相次いで妊娠・出産し育児休暇を取り、義山のミヤテレ入りのきっかけを作った。安斎は震災直後の2011年4月に仕事復帰している。
  • 天野貴子
    義山の後任のTVQアナウンサー(派遣契約雇用)。義山とはTVQ“入社”前に『九州けいざいNOW』で1年間ともに仕事をしていた。

外部リンク編集