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舞子地区 遠景

舞子(まいこ)は、神戸市垂水区の南西部にあり、明石市に接する地区である。旧山田村の地域、現在の西舞子・東舞子町・舞子台・北舞子・舞子坂・狩口台・舞子陵が舞子地区である。昭和16年7月に神戸市に合併されるまでは、明石郡山田村に属していた。

地形編集

地名の由来編集

舞子の地名の由来は諸説あり有名なものでは明石海峡の潮が舞い込む「廻い込浜」から転訛して舞子の字があてられた等、他にもいろいろな言い伝えがある。

  • 多く茂っていたの木の枝ぶりが、女性の舞う姿に似ていることが由来という説[1]

舞子の浜編集

名勝「舞子の浜」として古くから知られる[2]。小高い柏山から海と淡路島を望む景色が絶景であるとして有栖川宮熾仁親王別邸を構えたという歴史もある[1][注釈 1]1934年には当時の日本の文部大臣から史跡名勝記念物の指定を受ける[1]

1996年日本の渚百選に選ばれた小舞子海岸 (石川県白山市湊町) の「小舞子」という名称は、「舞子の浜」から取られたとされている[3]日本の白砂青松100選に選定された福島県いわき市新舞子ビーチも「舞子浜」に由来する[4]

なお、アジュール舞子は「舞子の浜」を復元した公園である[2]

舞子の史跡編集

舞子砲台跡
江戸時代末期に勝海舟の指導で作られた砲台跡。
舞子六神社
元禄2年(1689年)の創建。明石の岩屋神社に勧請して山田村の鎮守とし御祭りした。
たたき地蔵(延命地蔵)
海の難所だった舞子付近の安全と子ども達を守って貰うため文政8年(1825年)にお祭りした。
移情閣(現・孫文記念館)
神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海別荘」を前身としており、1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられた。外観が六角に見えるところから、地元では「舞子の六角堂」と呼ばれている。孫文が1913年来神したとき、神戸の中国人、経済界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になった。移情閣の東側に八木商会の八木与三郎の別荘、その隣に武藤山治邸があり、三家は家族ぐるみの付き合いをしており、のちに武藤の次女と八木の長男は夫婦となった[5]
大歳山遺跡
きつね塚古墳
石谷の石窟
嵩富竜王
東光庵

公共交通機関編集

施設編集

鉄道編集

道路編集

出身・ゆかりのある人物編集

  • 牛尾健治(実業家) - 牛尾合資会社代表社員。中国合同電気社長。
ウシオ電機会長牛尾治朗の父。自宅が舞子にあった。
住所が舞子町[6]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 富田昭次『「極み」のホテル 至福の時間に浸る』121ページによれば、その後シーサイドホテル舞子ビラ神戸が建設された場所である。

出典編集

  1. ^ a b c 富田昭次『「極み」のホテル 至福の時間に浸る』光文社〈光文社新書〉、2002年4月20日、初版1刷、120、121ページ。ISBN 4-334-03140-4
  2. ^ a b 舞子公園”. 財団法人 兵庫県園芸・公園協会 (初出年不明). 2008年10月3日閲覧。
  3. ^ ビーチ・海水浴場/小舞子海水浴場-じゃらんnet”. じゃらんnet (初出年不明). 2008年10月3日閲覧。
  4. ^ 須藤定久(2008)"砂と砂浜の地域誌(17) 福島県いわき地区の砂と浜"地質ニュース.648:34-48.(44ページより)
  5. ^ “相場師”呉錦堂『海鳴りやまず ―神戸近代史の主役たち』神戸新聞 (神戸新聞出版センター、1977年)
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第14版上』ウ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月24日閲覧。

参考文献編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版上』人事興信所、1943年。

関連項目編集