花沢城
静岡県焼津市にあった山城跡
花沢城(はなざわじょう)は、静岡県焼津市高崎にある日本の城跡。駿河の守護今川氏の西の守りとして造られた城である。
花沢城 (静岡県) | |
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![]() 花沢城(写真中央手前の山) | |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 今川氏または関口氏 |
築城年 | 1537年(天文6年) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 関口氏録、大原資良 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 竪堀、曲輪 |
指定文化財 | 未指定 |
登録文化財 | 未登録 |
再建造物 | 石碑、解説板あり |
位置 | |
地図 |
概要編集
築城は、1861年(文久元年)に新宮高平が著した地誌『駿河志料』では明応・文亀年間(1492年~1503年)としているが根拠はなく、花倉の乱終結直後の1537年(天文6年)頃ではないかと考えられている[1]。今川氏家臣・関口氏録が初代城主とされる。
城跡編集
城跡は、焼津市北部の高草山から南東に派生した標高150メートルの丘陵に位置する。山頂部に幅29メートル×長さ65メートルの本曲輪と、幅28メートル×長さ66メートルの二ノ曲輪を置き、周囲の稜線にも腰曲輪や堀切を複数設けて南北450メートル規模の城塞を構築している[2][3]。
2018年(平成30年)9月~10月には、焼津市教育委員会により初の発掘調査が実施され、本曲輪・二ノ曲輪間の大堀切が調査された[4]。
花沢城の戦い編集
1568年(永禄11年)より駿河侵攻を開始した武田信玄は、1570年(永禄13年)正月、城主・大原資良以下今川家臣の立て籠もる花沢城に攻め入った。信玄は高草山中腹に布陣し、武田勝頼・武田信廉・長坂長閑らが攻撃を行った。城兵は14日間に渡り奮戦したが、同月27日に降参し開城、大原資良は遠江に退去したと伝わる[5]。