芳川村 (長野県)

日本の長野県東筑摩郡にあった村

芳川村(よしかわむら)は、1954年まで長野県中西部に存在した村。1954年8月1日昭和の大合併松本市に編入された。

よしかわむら
芳川村
廃止日 1954年8月1日
廃止理由 編入合併
芳川村新村今井村和田村神林村笹賀村寿村岡田村里山辺村入山辺村松本市
現在の自治体 松本市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
東筑摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.48 km2
総人口 4,641
(1954年1月1日)
隣接自治体 松本市笹賀村寿村広丘村
芳川村役場
所在地 長野県東筑摩郡芳川村大字村井町字街道4
座標 北緯36度11分21秒 東経137度57分16秒 / 北緯36.18922度 東経137.95447度 / 36.18922; 137.95447座標: 北緯36度11分21秒 東経137度57分16秒 / 北緯36.18922度 東経137.95447度 / 36.18922; 137.95447
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

「芳川」の名は、地域内の用水であった四ケ堰(しかぜき)の通称に由来するとされる[1]

地理 編集

芳川村は奈良井川と田川にはさまれた南北に細長い村だった。全体的に平坦だが南側へ向かって傾斜がある。

  • 河川:奈良井川田川
  • 標高:620m
  • 周囲:16.5 km
  • 南北:4,600m
  • 東西:2,600m

歴史 編集

  • 1874年明治7年)10月23日
    • 筑摩県筑摩郡両島村・出川町村・並柳村・平田村・野溝村・笹部村・高宮新田村が合併して信楽村となる。
    • 筑摩県筑摩郡村井町村・吉田村・野村・高出村・郷原町村・堅石町村・原新田村・小屋村が合併して広丘村となる。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 信楽村・広丘村が長野県の所属となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、信楽村・広丘村が東筑摩郡の所属となる。
  • 1880年(明治13年)8月25日 - 信楽村が分割して両島村・出川町村・並柳村・平田村・野溝村・笹部村・高宮村となる(両島村・出川町村・並柳村・笹部村・高宮村は後に松本村の一部となる)。
  • 1881年(明治14年)6月24日 - 広丘村が分割して村井町村・吉田村・野村・高出村・郷原町村・堅石町村・原新田村・小屋村となる(吉田村・野村・高出村・郷原町村・堅石町村・原新田村は後に広丘村の一部となる)。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、村井町村・小屋村・野溝村・平田村の区域をもって芳川村が発足。
  • 1954年昭和29年)8月1日 - 松本市に編入。同日芳川村廃止。

行政 編集

  • 廃止時の村長:野口義照(1951年4月24日就任)
    • 助役:古畑文人
    • 収入役:浜野康雄

教育 編集

  • 芳川村立芳川小学校(後の松本市立芳川小学校)
  • 組合立筑摩野中学校(後の松本市立筑摩野中学校)

出典・脚注 編集

  1. ^ 赤羽洋輔 (2013年6月20日). “消える「芳川」の住居表示”. 市民タイムス: p. 1 

関連項目 編集