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若野 桂(もしの かつら、Katsura Moshino、1968年1月5日 - )は、日本の芸術家、イラストレーターグラフィックデザイナーアートディレクター映像作家である。

若野 桂
生誕 (1968-01-05) 1968年1月5日(51歳)
岐阜県安八郡
教育 岐阜県立大垣東高等学校
著名な実績 イラストレーターグラフィックデザイナーアートディレクター映像作家
公式サイト www.moshino.net

若野桂制作室(OFFICE 1980)代表、元名古屋工業大学プロジェクト准教授。

目次

人物・経歴編集

米ナイキ、仏エヴィアン、日ソニーをはじめとする企業のCMや製品デザイン、90年代の伝説的ダンスミュージックアーティストとのコラボレーションなどを多数手がける国際的クリエーター。(出典:若野桂LINE BLOG

1990年初頭、イギリスで発売されたオムニバス・アルバム「United Future Organization presents MULTI DIRECTION」のイラストレーションを手がけ、逆輸入的に日本で、マンディ満ちるモンドグロッソDJ KRUSHbirdなど数々のアーティストのフライヤーやCDジャケットを手がける。

ファッションブランド、VIVA YOU(ビバ・ユー)の広告キャンペーンの女性向けなキャラクター展開。サントリーの飲料「CCレモン・モシノグッズ・キャンペーン」を手がける。

1998年、日本人で初のNIKEバスケットボール広告の北米キャンペーンのイラストレーターに抜擢。「URBAN ATTACK」と題されたこのNIKEのキャンペーンは、北米とイタリアの街中が若野のビルボード広告で埋め尽くされ、スモーキーなピンク色は「モシノ・ピンク」と命名され、「Japanese twist(日本人のヒネリ)」と評された[誰?]。また、このNIKEキャンペーンでは、P-FUNKの総帥ジョージ・クリントンによってレコード制作が行われ、音楽とキックス(NIKEのバスケットシューズ)とバスケットボールとブラックカルチャー/ヒップホップカルチャーに根付いた内容のキャンペーンであった[要出典]

1999年 - 2000年、NIKEバスケットボールのアジアおよび北米における「PLAYER'S DElIGHT」キャンペーンのアートワーク担当及び企画参加。実在するNBAアスリートを若野がキャラクター化し、ビルボード広告や街中の広告、そして、若野キャラクターがアニメーションになってラップをするTVCMが展開された。日本版のTVCMは、日本のラッパーである、ZEEBRATWIGYDEV LARGEを採用、3者によって限定レコードもレコーディングされ、高値プレミアものとなっている。また、TVCMはアメリカにおけるTVCM専用のポータルサイトでのチャートで、初登場14位という記録を得る。

オリジナル作品をビデオミキサーを使用して映像ミックスをするVJとしても活動、芝浦GOLDでのDJ小林径のバースデーパーティ、United Future Organization が主催していたマンスリーパーティ「JAZZIN'」、大型音楽フェスティバル「レインボー2000」でのオーディオ・アクティブのVJ、当時新宿歌舞伎町にあったリキッドルームで展開されていた数々のイベントのVJを担当していた若野と宇川直宏と、そして後に登場した生西康典は、VJムーブメントを形成したオリジネイターの一人である[要出典]

また映像作家として、TBSテレビ「うたばん」のCMキューの映像制作、モード学園TVCM、オーディオ・アクティブのミュージック・クリップなどを監督制作などするなか、2001年にシカゴからリリースされた竹村ノブカズのシングル「sign」のために制作した映像が、CDを購入した人々の口コミによって評価を受け[誰?]アメリカはじめ、イタリアスペインプエルトリコイラン等のインディな映画祭に招待上映され、世界的に映像作家として脚光を浴びる[要出典]

2003年、アメリカがイラク戦争を開始した3日後のニューヨークでのDJ KRUSHのライブにVJで「NO MORE WAR」と飛び入り参加。2004年、音楽フェスティバルMETAMORPHOSEThe Orb(ジ・オーブ)のVJを担当し、後にThe Orbヨーロッパ・ツアーのオフィシャル映像を手がける。nobodyknows+の「ココロオドル」ミュージッククリップなど、映像作品は脚本やカメラ、アニメーション作成から監督、編集に至るまでの行程を全て一人で担当する。

2001年、東芝社の電子レンジMEKOOR、SAZABYのバッグ、SONY社のロボットAIBO(ラッテとマカロン、31Xシリーズ)など、プロダクト・デザイン(工業デザイン)も行う。雑誌『カーサ・ブルータス』が行った世界の著名キュレーター達を迎えて日本の優れたプロダクトを選出する企画で、aibo(ラッテ)が1位に選ばれた。それまで企業のインハウス的存在であった「プロダクト・デザイナー(工業デザイナー)」という言葉を世に知らしめた[要出典]グッドデザイン賞受賞、日経デザイン賞銅賞受賞。

1999年、NHKのテレビ番組「トップランナー」に出演。番組内でDJ KRUSHのDJをバックに、ライブ・ペインティングをメディアで披露。

2000年 - 2004年、キヤノン社の世界規模の公募キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテストにて、グラフィック部門の審査員をイギリスのTOMATOと担当。その他、ビューティーン・ヘアカラー、エビアンのボトルパッケージ、広告、TVCM、映像、グッズ・デザイン等など、多才に多範囲にて活動中[要出典]

元国立大学法人名古屋工業大学プロジェクト准教授。

著書編集

展示歴編集

  • 1998年「GO GO GO SHOW」(渋谷パルコギャラリー)NYのイラストレーター、マイケル・エコノミーとの二人展
  • 2000年 個展「DISCOGRAPHY」(名古屋パルコギャラリー)
  • 2001年 個展「Chilling Madness for Sweeties」(キヤノン・ワンダーミュージアム)
  • 2002 - 2003年「VS ヴァーサス展」(パルコミュージアム)、「UP ON OUR SLEEVE」(LA、日本、ロンドン、他)、「MY ADIDAS EXHIBITION」(日本、パリ、ロンドン、LA、NY、他)
  • 2004 - 2006年「HIDE AND SEEK」(香港、シンガポール他)
  • 2006年 個展「RAW」(大阪)     
他グループ展多数

受賞歴編集

  • グッドデザイン賞
  • 日経デザイン賞「銅賞」
  • アメリカンイラストレーション賞
  • アジアデザインアワード「パッケージ部門」受賞
  • スペースシャワーTVビデオミュージックアワード「ブレイクスルー賞」

他多数

外部リンク編集