英国海外航空781便墜落事故
英国海外航空781便墜落事故(えいこくかいがいこうくう781びんついらくじこ、BOAC Flight 781)は、世界最初の実用的ジェット旅客機であるイギリスのデハビランド コメットに発生した、技術上の欠陥による航空事故のひとつである。
回収された事故機の残骸 | |
出来事の概要 | |
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日付 | 1954年1月10日 |
概要 | 胴体の構造欠陥 |
現場 |
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乗客数 | 29 |
乗員数 | 6 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 35(全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | デ・ハビランドコメット |
運用者 |
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機体記号 | G-ALYP |
出発地 |
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第1経由地 |
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第2経由地 |
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第3経由地 |
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第4経由地 |
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第5経由地 |
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最終経由地 |
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目的地 |
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事故の概要編集
1954年1月10日、英国海外航空(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)所属のコメット3号機 "ヨーク・ピーター" (York Peter)(機体記号G-ALYP)は781便として、シンガポールからロンドンへ向けて飛行していた。経由地であるローマのチャンピーノ空港を世界時9時34分(現地時間10時34分)に離陸した。同便には乗員6名(操縦乗員と客室乗務員3名ずつ)と乗客29名(うち子供10人)が搭乗していた。またヨーク・ピーターは1952年5月に世界最初の定期ジェット旅客機として就航した輝かしい機体であった。
世界時9時50分ごろに管制塔へ定期通信を入れた後、781便の11分前にローマを離陸して付近を飛行していた同僚の "アーゴノート" 機531便(カナディア製DC-4, 機体記号G-ALHJ、コールサイン"How Jig")と気象条件の情報交換のため無線通信をしていた。世界時9時52分ごろ、781便のアラン・ギブソン機長(当時31歳)のメッセージが、“George How Jig, did you get my...”(531便、そちらに私の…)と言ったところで途切れてしまった。この時781便は地中海のエルバ島上空26,500フィート (8,077 m) を巡航していたが、この瞬間にヨーク・ピーターの前側胴体天井外壁に設置されていたADF(自動方向探知器)アンテナの穴のフレームから亀裂が爆発的に広がり、破壊が胴体後部、機首、主翼の順に起きたため、あっという間に空中分解してバラバラになった残骸が炎や煙に包まれて海上に落下していった。
この時、爆発を目撃したエルバ島の漁師たちが船で現場へ急行したが、生存者を見つけることはできなかった。この事故で35名全員が死亡した(そのうち遺体が回収されたのは15名)。この事故の犠牲者の中には、オーストラリア出身のBBCとABCの記者チェスター・ウィルモットも含まれていた。現在、エルバ島には事故の犠牲者の慰霊塔が立てられている。
なお、この事故でコメットは一時的に飛行停止になったが、問題個所とされた部分を改修した後に飛行は再開された。しかし再開直後の4月に同型のコメットが墜落する事故が発生し、耐空証明が取り消され、再び飛行停止措置が取られた。
事故原因編集
原因究明のために、通称「エルバ島作戦」とよばれる大規模な残骸の回収作業がイギリス海軍によって行われた。またイギリスのロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント (RAE) で残骸の復元作業が行われたり、与圧された胴体が外壁の疲労で破壊された可能性が指摘されたため、巨大な水槽を建造してその中に実際にコメットの胴体を沈め、水圧を掛ける事で地上で人工的な与圧状態を作り出すという極めて大がかりな実験が行われた。
その結果実際には低い強度しかなかったことが判明した。そのため最終的にはコメットには当時の航空工学では判明していなかった設計上の瑕疵により、与圧された胴体の繰返し変形による金属疲労が原因で空中分解事故を起こしたと断定された。そのため、事故機と同型機のコメット1は永久飛行停止措置がとられ、就航からわずか2年余りで退役することになった。
関連項目編集
参考文献編集
外部リンク編集
- ジェット旅客機コメットの空中分解 - 失敗知識データベース (日本語)
- 外山智士ホームページ (日本語)
- コメットの航空事故一覧(英語)
- Marc Schaeffer's Comet Website - ウェイバックマシン(1999年1月17日アーカイブ分)(英語)コメットの歴史、事故についての概略あり
- 事故機の写真