荻田 悦造(おぎた えつぞう、1878年明治11年)6月1日[1] - 1943年昭和18年)6月1日[2])は、日本衆議院議員庚申倶楽部)。弁護士

荻田悦造

経歴 編集

三重県多気郡相可村(現在の多気町)出身。1905年(明治38年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、農商務属となった[1]統監府が設置されると書記官となり、朝鮮総督府書記官を経て、1917年大正6年)に朝鮮総督府総務局長に就任した[1]

1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

その後、第一東京弁護士会所属の弁護士となった[3]

栄典 編集

外国勲章佩用允許

脚注 編集

  1. ^ a b c 『人事興信録』第5版
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ 『人事興信録』第12版
  4. ^ 『官報』第7475号「叙任及辞令」1908年5月29日。

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。