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藤原 基良(ふじわら の もとよし)は、鎌倉時代前期の公卿粟田口基良とも。大納言粟田口忠良の長男。官位正二位権大納言葉川殿と号す。

 
藤原基良
時代 鎌倉時代前期
生誕 文治3年(1187年
死没 建治2年12月28日1277年2月2日
改名 基良→縁空(法名)
別名 葉川殿、粟田口基良
官位 正二位権大納言
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 近衛家庶流粟田口家
父母 父:粟田口忠良、母:滋野井実国
兄弟 基良衣笠家良、良全、良覚、忠源、
忠豪、良性、良勝
藤原隆雅
粟田口良教房教藤井教嗣
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目次

家系編集

近衛家庶流の家に生まれたが、父忠良は歌人として知られていた。基良も歌人として名を成すようになるが、基良より5歳年少の家良の方が官位昇進の面で常に基良に先んじていた[1]。基良は従三位に叙せられてから権中納言に任ぜられるまで、実に23年間を非参議として過ごしている。この間、家良は先に従三位や権中納言となり、極官も内大臣に至ったが、兄である基良は権大納言止まりで在任期間も短かった。近衛家庶流としてこの程度の処遇しか受けられなかったが、子の良教は忠良の系統では唯一、従一位に叙せられるのである。

中殿和歌御会にて和琴を弾く編集

基良は順徳天皇が開いた建保6年(1218年)の「中殿和歌御会」にて歌人としての参加だけではなく、伶人としても和琴を弾いている[2]。この御会にて弟の家良も歌人として参加を許されているが、この時の位階も家良の方が基良より1段上である。

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜編集

脚注編集

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  1. ^ 歌人としての評価も家良の方が高い。
  2. ^ 続日本の絵巻、第12所収、「中殿御会図」、中央公論社。
  3. ^ 元服の日。
  4. ^ 病、所労のため。

参考文献編集

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 建暦元年(1211年)に基良が非参議従三位となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「藤原基良」および「衣笠家良」、「藤原忠良」の項。
  • 野中和孝・山縣正幸『衣笠家良の生涯(上)生誕から内大臣致仕まで』
  • 続日本の絵巻、第12、「随身庭騎絵巻」、「中殿御会図」、「公家列影図」、「天子摂関御影」、中央公論社。