藤原弘蔭
平安時代の貴族。藤原北家真夏流、日野家4代。従五位上・大学頭。阿波守、日向守、相模守
経歴編集
文章生から宮内少輔を経て、元慶2年(878年)民部少輔次いで相模介、仁和2年(886年)大学頭、仁和3年(887年)阿波守を歴任。ほかに、日向守・相模守などの地方官も務めた。陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の三代に仕えた。延喜4年(904年)3月3日卒去。
官歴編集
注記のないものは『日本三代実録』による。
系譜編集
『尊卑分脈』による。
文章生から宮内少輔を経て、元慶2年(878年)民部少輔次いで相模介、仁和2年(886年)大学頭、仁和3年(887年)阿波守を歴任。ほかに、日向守・相模守などの地方官も務めた。陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の三代に仕えた。延喜4年(904年)3月3日卒去。
注記のないものは『日本三代実録』による。
『尊卑分脈』による。
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