蘇我比咩神社
千葉県千葉市中央区にある神社
蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。
蘇我比咩神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 千葉県千葉市中央区蘇我2-2-7[1] |
位置 | 北緯35度34分21.0秒 東経140度7分46.9秒 / 北緯35.572500度 東経140.129694度座標: 北緯35度34分21.0秒 東経140度7分46.9秒 / 北緯35.572500度 東経140.129694度 |
主祭神 |
蘇我比咩大神 千代春稲荷大神 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月9日 |
地図 |
蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。
歴史
編集創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏は春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。
ただしこれには別の伝承もあり、浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫であり、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったともいう。
境内
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手水舎
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鳥居
交通
編集脚注
編集外部リンク
編集- 蘇我比咩神社(公式サイト)