蜂須賀 儀子(はちすか のりこ、明和8年(1771年) - 寛政7年(1795年))は、関白鷹司政煕正室。父は阿波徳島藩第10代藩主・蜂須賀重喜。母は側室の梁田時。兄弟は蜂須賀治昭蜂須賀幸子醍醐輝久正室)などがいる。義娘の鷹司并子は、甥で徳島藩第12代藩主・蜂須賀斉昌の正室。

生涯

編集

明和8年(1771年)、阿波徳島藩第10代藩主・蜂須賀重喜と側室の梁田時の次女として生まれる。

後に関白鷹司政煕に嫁ぐ。政熙との間には、天明7年(1787年)に三女・吉子(閑院宮孝仁親王妃)、そして寛政元年(1789年)には長男・鷹司政通を出産。

寛政7年(1795年) 、死去。

参考文献

編集
  • 『蜂須賀家記』