西園寺鏱子

伏見天皇の中宮、歌人

西園寺 鏱子(さいおんじ しょうし)は、第92代天皇伏見天皇皇后中宮)。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての京極派の代表的歌人。従一位太政大臣西園寺実兼の長女。母は内大臣中院通成の娘、顕子。女院号は永福門院(えいふくもんいん/ようふくもんいん)。法名は真如源。

西園寺鏱子
第92代天皇后
皇后 正応元年8月20日1288年9月16日
永福門院
院号宣下 永仁6年8月21日1298年9月27日

誕生 文永8年(1271年
崩御 興国3年5月7日1342年6月10日
氏族 西園寺家
父親 西園寺実兼
母親 中院顕子(中院通成の娘)
配偶者 伏見天皇
入内 正応元年6月2日1288年7月1日
女御宣下 正応元年6月8日(1288年7月7日
立后前位階 従三位
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次妹の西園寺瑛子(昭訓門院)は亀山上皇の寵姫で、末妹の西園寺禧子後醍醐天皇の皇后・二条派の有力歌人である。

現存する和歌だけでも387首が残り(重複入集も別個に数えると453首)[1]、うち151首が勅撰和歌集に入集した[2]

生涯編集

弘安11年(1288年)4月27日、従三位正応元年(1288年)6月2日、前年に即位した伏見天皇のもとに入内、同月8日女御、さらに同年8月20日には中宮となった。

実子は生まれなかったが、典侍五辻経子が生んだ東宮胤仁(のちの後伏見天皇)を猶子とし、手許で育てた。永仁6年(1298年)8月21日、伏見天皇の譲位にともない院号宣下をうけた。正和5年(1316年)6月23日に出家し、真如源と号する。興国3年(1342年)5月7日、72歳で崩御した。

伏見天皇の東宮時代から京極為兼が仕えていたことから、歌を京極為兼に師事し、為兼や伏見天皇を中心とする京極派の歌人として『玉葉和歌集』『風雅和歌集』等に多くの歌を残している。

脚注編集

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参考文献編集

  • 岩佐美代子 『永福門院 飛翔する南北朝女性歌人』 笠間書院〈古典ライブラリー 9〉、2000年10月30日。ISBN 978-4305600394