西岡 憲康(にしおか のりやす、1941年昭和16年〉5月10日[1][2] - 2013年平成25年〉8月26日[2])は、日本政治家、元岡山県備前市長(4期)。

来歴 編集

1941年満洲国奉天省奉天市にて生まれる[1][注釈 1]1946年(昭和21年)に岡山県和気郡日生町(現在の備前市)へ引き揚げ、日生町立日生小学校、日生町立日生中学校を経て大阪府立北野高等学校に進学し[1]、その後京都大学法学部に入り、卒業する[1]。卒業後は岡山県庁に入り、のち自治省に出向する[1]

1975年岡山県議会議員に初当選し(和気郡選挙区、自由民主党[1]、4期務める。1988年1992年岡山県知事選挙、1989年の参院選(岡山県選挙区、無所属)、1996年の衆院選(岡山3区新進党)、1999年の岡山県議選[3]に立候補したがいずれも落選した。

2003年日生町長選挙に立候補して当選[1]。1期務め、日生町は2005年に旧備前市と吉永町と合併し、新たな備前市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、旧備前市長の栗山志朗を破った[4]2009年に再選[5]。市長を2期務めた後、2013年4月に退任。退任から4か月後に死去した[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『現代物故者事典 1994~1996』439頁では出身地を「岡山県和気郡」と記載。

出典 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集