バックギャモン
バックギャモン(Backgammon)は、基本的に2人で遊ぶボードゲームの一種。盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。世界最古のボードゲームとされるテーブルズの一種である。西洋双六(せいようすごろく)ともいう。日本には飛鳥時代に伝来し、雙六・盤双六の名で流行したが、賭博の一種であるとして朝廷に禁止されている。
1枚のボードと15個の駒2組、2個のサイコロ2組、1個のダブリングキューブ、2個のダイスカップからなるバックギャモンセット | |
期間 | 約5千年前から現在 |
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ジャンル |
ボードゲーム レースゲーム サイコロゲーム |
プレイ人数 | 2 |
準備時間 | 10 - 30秒 |
プレイ時間 | 5 - 60分 |
運要素 | 中程度(サイコロ) |
必要技能 | ストラテジーゲーム、戦術、数え上げ[要曖昧さ回避]、確率 |
サイコロを使用するため、運が結果に対する決定因子の一つであるものの、長期的には戦略がより重要な役割を果たす[1]。プレイヤーはサイコロを振るたびに着手可能な選択肢の中から、相手の次の可能性のある手を予測しながら自手を選択し、自分の駒を移動させる。現代のルールは20世紀初頭のニューヨークを起源とするとされ、ゲーム中に勝ち点の点数(後述)をレイズする(上げる)ことができる(ダブリングキューブを参照)。
チェスと同様に、計算機科学者の興味の対象として研究がなされ、それにより作り出されたソフトウェアは、人間の世界チャンピオンを破る程に発展している。
遊び方
編集盤
編集盤は、24箇所の地点(ポイント)と、一時的にゲームから取り除かれた駒を置く場所(バー)、ゴールからなる。各ポイントは、1から24までの番号を付けて呼ばれる。駒の進行においてゴールに最も近いものが第1ポイント、最も遠いものが第24ポイントである。双方のプレイヤーにとって、駒の進む向きは逆であるため、自分と相手ではポイントの番号も異なるものとなり、例えば自分の第1ポイントは相手の第24ポイントである。第5ポイント(相手にとっての第20ポイント)はゴールデンポイントといい、ここのポイントの確保(後述)はゲームの流れを左右することが多い。
駒の配置
編集各プレイヤーは、第6ポイントに5つ、第8ポイントに3つ、第13ポイントに5つ、第24ポイントに2つの駒を初期配置する。第24ポイント(相手側にとっての第1ポイント)に配置された駒をバックマンという。
先手の決定
編集日本では、まず、最初に双方が1つずつのサイコロを振り、大きい目が出た方が先手となる。このとき出た目はそのまま先手の最初の出目として使われる。双方が同じ目の場合には再び振りなおす。米国などでは、コイントスで決めるのが習慣になっている州もある。ただし、コイントス法は一部の団体が批判している[要出典]。
駒の移動
編集- 2つのサイコロを振り、出た目の数だけ前方(ポイントが少ない方向)に駒を動かす(ポイントが多い方向には動かせない)。同じ駒を2回動かしても、それぞれのサイコロで異なる駒を動かしても構わない。また原則として出た目は最大限使わなければならない(例えば4と5の目の際にある駒を3つ進めることはできない、ただし、後述のように駒をゴールさせる場合に限り例外がある)
- ぞろ目が出た場合には、通常の2倍(すなわち、ぞろ目となっている数の4回分)駒を動かすことができる。この場合も4つの駒をそれぞれ動かすことも、1つの駒を目の4倍分進めることも可能である。
- 同じポイントに敵と味方の駒が同時に存在することはない。
- 移動しようとするポイントに敵の駒が2つ以上存在する場合、そのポイントには移動できない(これをブロックという)。ブロックを作ることを、ポイントを作る、あるいはポイントを確保するという。なお1つの駒を2つのサイコロの目で動かすときは、サイコロの目が合計されるのではなく、2回の動きを続けて行うとみなされるところに注意しなくてはならない。例えば3と5の目が出たときに、ある駒の8つ先のポイントが空いていたとしても、3つ先と5つ先にともに敵のブロックがあればその駒は動かせない。
- 敵の駒が1つだけあるポイント(これをブロットという)に駒を移動した場合、それまであった敵の駒を一時的にゲームから取り除かれる。これをヒットという。
- ヒットされた駒はバーに移動させる。次回以降の駒移動のサイコロの目を使って、相手の第1〜6ポイント(自分の第24〜19ポイント)に再配置する。すなわち、バーは自分の第25ポイントと考えてよい。
- バーにある自分の駒は最優先で動かさなければならない。バーにある駒を動かすことをエンターという。
- すべての駒の移動先がブロックされている場合、その回には全く移動できない。これをダンスという。特に、バーに駒があり、相手インナー(第19〜24ポイント)がすべてブロックされていて駒を動かせない状態をクローズアウトと呼び、この場合サイコロを振ることもできない(いかなる目が出てもダンスになってしまう)
- ルールに従った移動が可能な限り、サイコロの目を可能な限り多く使わなければならない。目の両方が動かせるが、片方を使った場合に他方が使えない場合には、大きい目で動かさなければならない。
- 駒がゴールするためには、自分の駒がすべてが第1〜6ポイント(自分のインナー)になければならない。自分の駒を第6ポイント以内に全て集めることをベアリングインという。
- ベアリングインが完了すると、自分の駒をゴールさせることができる。これをベアリングオフという。ベアリングオフした駒は、盤上から取り除かれ、その後ゲーム中で使用することはない。
- 一部の駒がベアリングオフした状態であっても、自分の駒がヒットされた場合、その駒が自分のインナーに戻る(つまり再度ベアリングインが完了する)まで、駒をゴールさせることはできない。
- サイコロの目の数通りに移動できる駒がない場合は、より大きな数の目であってもゴールが可能である。たとえば、自分の駒が第2ポイントに2つ、第3ポイントに1つ、第4ポイントに2つある場合で、出た目が5と6であった場合は第3ポイントと第4ポイントの駒をゴールさせることができる。
基本的なゲームポイント
編集ここで言うポイントとは、勝ち点のことである。このゲームのポイントはその勝ち方によって3通りに分かれる。
- 相手の駒がゴールし始めている状態で勝利した場合、勝者は1ポイントを獲得する。これをシングルという。
- 相手の駒が1つもゴールしていない状態で勝利した場合、勝者は2ポイントを獲得する。これをギャモンという。
- 上記の場合でさらに相手の駒がバーもしくは勝者側のインナーに残っていた場合、勝者は3ポイントを獲得する。これをバックギャモンと呼ぶ。
ダブル(後述)がなされている場合には、ダブリングキューブが表示する倍率をこれに乗じたものとなる。
競技会ルールでは、5以上の奇数ポイントを統一して設定し、そのポイントを先取した者の勝利としてゲームを行うことが普通である。ただし、ダブルがあるために、一度のゲームで勝敗が決まることもある。なお、デュースのルールは一般的でない。
ダブルおよびダブリングキューブ
編集手番プレイヤーは、試合中移動のサイコロを振る前にそのゲームの得点を倍にする「ダブル」を提案できる。相手プレイヤーがダブルを拒否した場合はゲームは終了となり、ダブルの提案をした側が1点勝ちとなる。ダブルの提案を受けることをテイク、断ることをパスという。
ダブルには2つの意義があり、ポイントを2倍にするという意義と、大勢が決しているゲームを終わらせるという意義がある。
特に後者について、ダブルが導入される以前は、勝敗が完全に確定するまで、優勢な側は単なる作業として、劣勢な側はわずかな逆転の望みに懸けて、ただダイスを振り続けるという実質的にほとんど意味のない行動を双方がしなければならなかった。ダブルの導入は、前述の状況を解消し、ゲームのスピーディー化をもたらしたという意味で重要であり、ダブルがこのゲームを絶滅から救ったとまで言われるほどである。
ダブルは通常優勢な側のプレイヤーが提案するため、ダブルが導入されたことで的確な形勢判断を行なうことがプレーヤーに求められるようになり、ある局面においてダブルをかけるか否か、ダブルをかけられた際に受けるか否かの判断をキューブアクションと言い、駒の正しい動かし方(チェッカープレイという)とは異なる能力が求められるようになったことが本ゲームの複雑性を増し、より奥が深くなることとなった。
双方がダブルをかけていない状態においては、どちらのプレイヤーがかけてもよいが、2回目以降のダブル(リダブル)は前回ダブルを受け入れた側のプレイヤーにだけかける権利がある。すなわちダブルを提案して同意された場合、相手にだけリダブルの権利が生じることに注意が必要である。リダブルを拒否した場合、拒否した側の2点差負けとなる。双方がダブルをかけ合った場合、得点率は4倍、8倍、16倍、……と倍々で増加してゆくことになる。
ダブリングキューブと呼ぶ2、4、8、16、32、64の記されたサイコロを使って現在の倍率を表示し、そのキューブの置かれた位置によって次にダブルをかける権利のあるプレイヤーを示す。初期状態ではキューブは中央に置かれ、また通常のダブリングキューブには1の面がないため、64の面を上にしてその代わりとする。
ダブルを交互にかけ合い続けた場合、理論的には倍率は際限なく上がることになるが、実際にはそこまでダブルをかけ合うほどの連続逆転は起こりがたく、また競技会ルールでの必要得点などの面からもそのようなダブルには意味のないことが多い。これ以上ダブルの倍率を上げることが無意味になった状態や、クロフォードルール(後述)が適用されているゲームのことをキューブデッドという。128倍以上の高倍率が記された特殊なダブリングキューブも存在するが一般的ではないため、このような倍率が実際に発生した場合には、少なくとも競技者双方にとって紛らわしくないような表示を適宜決める必要がある。
ダブルに関して、「25%理論」と呼ばれる理論がある。これは、逆転の確率が25%以上ある場合は、ダブルを受け入れた方がよいというものである。
たとえば、逆転確率が25%の全く同じ状況が4回発生したとする。もし、4回ともダブルを受けずに敗北を宣言すると4回とも失点1なので、合計は失点4となる。もし、4回ともダブルを受け入れる場合は4回のうち1回は勝って得点2、残り3回は負けて失点6となり、合計は失点4となる。よって、逆転の確率が25%の場合、失点の合計はダブルを受けても受けなくても変わらない。このため、勝率が50%を超える場合はダブルをかけるほうが有利であり、またダブルをかけられたほうは逆転の可能性が25%を超えるならばダブルを受け入れる方がよいという、興味深い設定となっている。
ただし、これは盤面の特殊な状況(例えば、負ける場合はギャモン負けとなる可能性が高い状態など)を考慮せず、また持ち点が無限にあると仮定した場合の戦略であり、実際にはそのときの盤面や、競技会ルールの場合には現在の持ち点を考慮してダブルの是非を決めることになる。また、ダブルをかけるということは、相手が受け入れた場合、次にダブルを提案する権利が相手にだけある状態になることでもあり、これによって戦略上の不利が生じる場合もあるので注意が必要である。
ダブルに関して、以下のような変則ルールが存在する。
- クロフォードルール
- 競技会ルールで、どちらかのプレイヤーが先にマッチポイント(あと1点で勝利を得る状態)になった場合、次の1ゲームに限りダブルをかけられない、というルール。マッチポイントを得たプレイヤーの優位性を保護するためのルールであり、ほとんどの競技会で採用されている。ただし、クロフォードルールは1ゲームに限り適用され、そのゲームが終わると解除され、ダブルをかけることができるようになる。例えば、5点先取のマッチで、Aが1点、Bが4点の場合、Aはダブルを提案できないが、そのゲームでAがシングル勝ちし、Aが2点、Bが4点となると依然BのマッチポイントであるがAはダブルを提案できる。
- オートマチックダブル
- 先手を決める最初のサイコロが双方同じ目となった場合、ダブルの倍率を2倍にしてから振り直す、というルール。先手が決まるまで、同じ目が出続ければさらに倍々となってゆく。上がるのは倍率のみで、最初のダブルをかける権利は変わらず双方にある。競技会では通常採用されないが、米国の一部地域では一般的なルールであり、この地域を経由して日本に伝えられたことにより、書籍によっては一般的なルールであると解説されていることがある。
- ビーバー
- ダブルを提案されたプレイヤーが通常のダブルを受ける選択の他に、そのさらに2倍の倍率を逆提案できるルール。すなわち倍率はダブルをかける前の4倍となり、次のダブルをかける権利はビーバーで受けた、すなわち最初にダブルを提案した側が持つ。前述の25%理論と同様の設定では、双方が勝率を正しく判断しているならばビーバーで受けるべきダブルがかけられることはありえないので、ビーバーで受けるのは主に、相手の勝率計算が誤っていると考えた場合になる[注釈 1]。ビーバーを逆提案された場合、当初ダブルを提案した側が拒否することも可能であり、この場合はビーバーを逆提案したプレイヤーの1点差勝ちとなる。競技会では通常採用されない。
- ジャコビー
- ダブルがかけられていない場合、ギャモン勝ちやバックギャモン勝ちも1点勝ちするルール(ダブルがかけられると、ギャモン勝ちは4点、バックギャモン勝ちは6点となる)。ダブルをかけて降りられては1点しか得られないため、ギャモン勝ちが見えている場合(このような状況をトゥーグッドトゥーダブルという)ダブルをかけずに進行することになり、ダブルの趣旨であるゲームの迅速化が果たされないので、このようなギャモンを認めずにさらなる迅速化を図る目的がある。ただし、勝敗がほぼ決してからのギャモンの成否も戦術のうち(次項のギャモントライを参照)といえるため、競技会では通常採用されないが一定の得点で勝敗を決しない方法(マネーゲームという)ではほぼ確実に採用される。
基本的な戦略
編集基本的なゲーム戦略としては、
- 相手からのヒットを避ける(ブロットを作らない)ようにして駒を進めること
- ヒットした相手の駒を再配置させない、または再配置後の移動が困難になるよう自分の駒を移動させることにある。
ただし、サイコロの目によって採りうる戦略は左右されるため、状況により随時その戦略を変えなくてはならない。 そのため以下のような戦術がある()内は別名。
- プライミング:連続した6つのポイントをブロック(これをプライムという)し、その先にある相手の駒を進めないようになった状態もしくは、4~5個連続したブロックポイント(これをセミプライムという)をつくることで相手のバックマンを捉えて、動きを阻み、相手がインナーの防御を壊さざるを得ない状況(動かせる駒がある場合は動かさなければならないため)を作る。この結果としてインナーの駒が進み過ぎてしまった状態をナッシングボードという。
- ブロッキング(ホールディング):相手インナーに複数のポイントを確保し、ベアリングイン途中で生じたブロットをヒットする。自分のインナーにセミプライムを形成できていると効果的である。
- アタッキング(ブリッツ):序盤から積極的に相手をヒットし、プライム・クローズアウトにより相手をねじ伏せる。相手のコマを連続してヒットし続けることで、相手のバックマン2個をバーの上に載せ続け、相手の行動を完全に封殺する戦法である。勝つときは大抵ギャモン勝ちとなるという決まると爽快な戦法である。ただし、一度失敗すると取り返しがつかないこともよくあり、細心の注意が必要とされる。
- バックゲーム:不利な状況において相手インナーの深いポイントを複数確保し、逆転を狙う。失敗すればギャモン負け必至の背水の陣の戦略であるが、それだけに成功したときはアタッキングとは違う意味での快感がある。
- ランニング:序盤から大きい目やゾロ目が連続して出てピップカウントの優位を確保した場合、早々に双方の駒が完全にすれ違いヒットされる可能性のない状態(これをノーコンタクトという)に持ち込んで、安全勝ちを目指す。ギャモン勝ちは狙いにくいが優勢を確保してから、逆転される可能性が低く安全性の高い戦略である。
- ギャモントライ:勝利が確実な状況になった際に、ダブルを提案せずギャモン勝ちを目指す戦略。逆に敗北が確実な状況でギャモン負けを回避する戦略をギャモンセーブという。ギャモントライやギャモンセーブは勝負結果自体は見えているため副次的なものと考えられがちであるが、その成否は0.5ゲーム分に相当する価値を持つため、これらも重要な戦略である。
形勢判断
編集形勢判断の材料として一般的に用いられるのがピップカウントである。これは、自身のコマのゴールからの距離の合計値であり、通常は小さい方が有利とされる。また一般にインナーまで多くの駒を進めている側は優勢であるが、上記の通り相手インナーにブロックポイントを作る戦術もあり、またサイコロの目次第での大逆転が有り得るためチェスのような明白な優劣がついている状態は起こりにくい。大逆転につながるようなサイコロの目をジョーカーという。
対コンピュータ
編集ルールが比較的シンプルなこともあり、コンピュータの黎明期からさまざまなプログラムが作成され、およそ2000年前後に人間超えを果たした[2]。さらに、解析ソフトウェアの進歩により戦略に革命を起こした。
有名なのはSnowie[3]、GNU Backgammon[4](略称gnubg)、eXtreme Gammon[5](略称XG)である。eXtreme Gammonは日本では日本バックギャモン協会から有償で販売されている。GNU Backgammonは自由ソフトウェアであり無償である。ネット上での対戦も容易であり、PlayOKやBackgammon GalaxyやBackgammon Studio Heroesなどが活発にプレイされている。
サイコロを使う偶然性があり、ある局面の有利不利、あるいはある局面での動かし方についてその局面から何度もプレイしてみても正確な評価が非常に難しいことがあるが、Variance Reduction[6](分散低減)という手法を用いられるようになり、解析ソフトウェアは非常に精度の高い局面評価、最善手の検索が可能となった。
解析ソフトウェアを使用すると、ある局面の有利不利の評価、最善手が分かるようになる。しかし何故その局面がそう評価されるのか、何故それが最善手なのかは教えてくれない。教えてくれるのは「この局面の勝率は63%だ」とか、「最善手はこの動かし方で、勝率が3%下がる次善手はこれ」といった情報である。そのため、人間がその情報を元に上達するためには局面の解析結果から人間的思考手順を導き出さなければならない。
歴史
編集古代
編集セネト
編集原型は紀元前3,500年頃の古代エジプトでプレイされたセネトと呼ばれる10枡3列の遊戯盤ではないかという説があるが、現代のものとは見た目もルールも大きく異なる[7]。ツタンカーメン王の墓からもセネトの道具が発掘されている[8]。元々は古代エジプト人にとって最大の関心事であった「死と再生」の過程が盤上に描かれるなど、セネトはエジプト神話及び宗教と結びついたものであった。だが、エジプト文明の衰退とともに宗教色が薄れ、エジプト末期王朝には宗教的な絵やヒエログリフが外されていった。これがかえってギリシアやローマに受け入れられていく素地となっていった[9]。
ドゥオデキム・スクリプタ
編集ローマ帝国では12枡3列のドゥオデキム・スクリプタ(「12本の線」という意味)[10] というゲームが盛んに行われていた[11]。
12枡2列化
編集タブラ
編集ドゥオデキム・スクリプタは遅くとも5世紀頃までに現在のものと同じ様に12枡2列となり、タブラと呼ばれ中世ヨーロッパで広く遊ばれるようになった[13]。13世紀頃からはタブラの他に各地域独特の呼称が生まれ、ドイツではプッフ、フランスではトリックトラックなどと呼ばれるようになった[14]。だが、賭博のための遊戯としての色彩が強まるとともにキリスト教的な観点から批判する声も高まり、15世紀にはタブラの廃絶運動が起こった[15]。だが、聖俗問わずタブラを好む人が多かったために完全な廃絶には至らなかった。
ナルド
編集中近東方面でもギリシア・ローマの影響を受けて、このゲームはナルド(Nard)の名前で広がった。ナルドは12枡2列であるため、ローマなどの西方から伝えられたと考えられているが、一方でナルドが西方ヨーロッパに伝えられ、トリックトラックとして遊ばれるようになったとの説も存在している[16]。ナルドは賭博と深い関係があったためにイスラム法学者からはたびたび強い非難を浴びたものの、それにもかかわらずイスラム化した中近東全域で盛んに遊ばれていた[17]。ナルドはさらに東に伝播したものの、インドでは他のゲームに押されてほとんど広がらなかった[18]。
雙陸
編集ナルドは北にも伝播し、中央アジアで普及したあと、シルクロードを伝って中国でも6世紀には雙陸(シュアンルー)の名前で広がった[19]。雙陸は伝来以降賭博や遊技として親しまれてきたが、清の時代になると豪華な雙陸盤が作られる一方で、他のゲームに押されてゲームとしては衰退していった[20]。
雙六
編集日本への伝来は7世紀で、持統天皇の治世に早くも雙六(盤双六)賭博禁止令が出されている[21]。盤双六は古代・中世を通じ賭博として非常に人気があり、広く遊ばれたものの、賭博の一つとしてしばしば禁令が出されている。西洋型は戦国時代に初めて伝来したが、盤双六に馴染んだ日本人には受け入れられなかった[22]。
一方戦国期には碁や将棋の隆盛が目立つようになり、賭博性を強めた盤双六の地位と人気は緩やかに低下し始めた[23]。それでも18世紀末までは盤双六のプレイヤーは多かったものの、この時期に盤双六の賭博としての人気は弱まり、各地の賭博禁令から盤双六の指定が外されるようになっていく[24]。双六盤そのものは江戸期を通じ嫁入り道具の一つとして婚姻の際に持参されることが多かったものの[25]、19世紀に入ると盤双六はかなり衰退し、実際の遊技方法を知らないものが大半となっていた[26]。明治維新を迎えると衰退はさらに顕著になり、明治末年から大正期頃にはプレイヤーの不在によりほぼ消滅した[27]。
バックギャモン
編集イギリスでは、16世紀にタブラが禁止されたが、密かにプレイされていた。1650年にイギリス版のタブラはbackとgamen(中英語でgameの意味)の2つの単語を組み合わせてバックギャモン (Backgammon) と命名された[28]。18世紀に入るとバックギャモンはほぼ現代のものと同一のものとなっており、1753年にはエドモンド・ホイルによってルールが整理・確立された[29]。
賭博としてのバックギャモンは18世紀末には衰退の傾向が見られ、19世紀に入ると、カードなどに取って代わられる形で賭博場では徐々に遊ばれなくなっていき、家庭などで遊ばれる純粋なテーブルゲームとなっていった[30]。その後、ヨーロッパでは20世紀に入ると、停滞の様相を呈していたが、1920年代にアメリカで発明された「ダブリングキューブ」が導入されてゲーム性が高められると、再び盛んになり始めた[31]。今日においてもインド以西のユーラシア大陸全域とアメリカにおいては代表的なボードゲームの一つである。
盤双六の衰退後、日本ではバックギャモンは西洋の珍しいゲームとして知識のみが伝わっている状態が続いていたが、戦後に入ると徐々に競技者が増えはじめ、1974年には日本バックギャモン協会が設立され[32]、同年からは日本選手権が毎年開催されるようになった[33]。日本バックギャモン協会によれば、現在、競技人口は欧米を中心に3億人ほどが存在するという。日本の競技者は、推定20万人ほどであるが、世界ランキングの上位者を何人も輩出しており、レッスンや試合の報酬などで生計を立てるプロも存在する[34]。
バックギャモンの大会も各地で開催されており、モナコのモンテカルロでは個人戦の世界バックギャモン選手権が毎年開かれている[35]。2021年までに望月正行、矢澤亜希子、鈴木琢光が優勝している。個人戦のほか、ネット上での国別対抗戦も存在しており、2020年大会では日本が優勝した[36]。
脚注
編集注釈
編集- ^ ただし、このゲームは1ゲームだけで勝敗が決まるものではなく、ポイントマッチであるため得点の状況によっては、ビーバーで受ける方が得になる状況も有り得る。例えば9点先取のマッチでAが7点、Bが5点の状態で、Aがダブルを提案した場合、Bはビーバーで受けるのが絶対優位戦略となる。
出典
編集- ^ “"Backgammon Luck vs Skill"”. backgammon.org. 2014年8月25日閲覧。
- ^ バックギャモンBotと人間、比較に意味はあるのか? - Mochy's Backgammon Today
- ^ “Backgammon Snowie - the new software by Snowie Group”. 2014年8月25日閲覧。
- ^ “GNU Backgammon”. 2014年8月25日閲覧。
- ^ “eXtreme Gammon, backgammon learning and analyzing program”. 2014年8月25日閲覧。
- ^ David Montgomery著、仙石祥一郎 訳 (2000年6月30日). “Variance Reduction”. 2014年8月25日閲覧。
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- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p28 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p54 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活」p188-189 アルベルト・アンジェラ著 関口英子訳 河出書房新社 2012年4月20日初版発行
- ^ 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p211 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p66-67 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p66 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
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- ^ https://www.yodoko-geihinkan.jp/2016/03/18/sb-15/ 「雛人形のお道具」ヨドコウ迎賓館 2016年3月18日 2021年7月2日閲覧
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- ^ “backgammon”. The Oxford English Dictionary (Second ed.). (1989)
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p87 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p88-91 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p295 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p292-293 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
- ^ 「バックギャモン・ブック」p206 日本バックギャモン協会編著 2002年10月20日初版発行
- ^ “今から世界一も夢じゃない? 日本はバックギャモン強豪”. 朝日新聞. (2021年3月13日) 2021年3月14日閲覧。
- ^ 「バックギャモン・ブック」p91 日本バックギャモン協会編著 2002年10月20日初版発行
- ^ https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202101250000145.html 「「バックギャモン」国別対抗戦、日本8年ぶり優勝」日刊スポーツ 2021年1月25日 2021年6月23日閲覧
参考文献
編集- 増川宏一『すごろく ものと人間の文化史79』(法政大学出版局、1995年) ISBN 4-588-20791-1
- 日本バックギャモン協会『バックギャモン・ブック』(河出書房新社、2002年) ISBN 978-4-309-26597-1
- 日本バックギャモン協会『改訂新版 バックギャモン・ブック』(河出書房新社、2017年) ISBN 978-4-309-27841-4
関連項目
編集- 矢澤亜希子…プロフェッショナルバックギャモンプレイヤー。日本人女性初、2014年および2018年の世界チャンピオン。
- 望月正行…日本人初の世界チャンピオン。
- 武宮正樹…バックギャモンを愛好する囲碁棋士で、日本バックギャモン協会の黎明期から大会に参加。協会主催の5大タイトルであるタイトル「盤聖戦」を1期獲得。
- 森雞二、真鍋一男、櫛田陽一、森内俊之、片上大輔…バックギャモンを愛好する将棋棋士として有名。
森、真鍋は協会の黎明期から活躍し、片上はタイトル6期・世界選手権日本代表などの実績がある。現在、日本バックギャモン協会の評議員。 櫛田はタイトル獲得歴があり、森内は2013年末頃から本格的に始め短期間のうちに上達し、2014年の第39回世界バックギャモン選手権では4位入賞を果たす。その後王位獲得、日本選手権大会優勝の実績を残す。
- すぎやまこういち…日本バックギャモン協会名誉会長であり初代会長。1977年に開催された第7回日本バックギャモン選手権大会の優勝者。ディスクシステムの『バックギャモン』では一部の曲の作曲を担当した。
- 木原直哉…ポーカー選手になる前、バックギャモンの選手だった。
- テーブルゲーム
- ボードゲーム
- すごろく
- パチーシ
- カジノ
- 妖逆門…週刊少年サンデーに連載されていた漫画。
- 森雪之丞…バックギャモンファン、スラップスティックの楽曲でダックを組んだ大瀧詠一と初対面時、バックギャモン好きと言う事からバックギャモンの置いてある喫茶店で会い、大瀧もバックギャモンファンである事から意気投合している。
- 向井慧(パンサー)…バックギャモンに興味を持ち、2024年6月25日、自身のラジオ番組「パンサー向井の#ふらっと」の企画で、日本人世界チャンピオンの望月正行と対局。1ポイントマッチ(1ポイントマッチはダイスの出目次第で初心者レベルが世界チャンピョンに勝つことは十分に起こり得る)の3局制で向井が1勝でもすれば日本バックギャモン協会に入会できるというルールで、第1局で望月に勝利し入会。