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本来の表記は「趙汝适」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
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趙 汝适(ちょう じょかつ、拼音: Zhào Rǔkuò1170年 - 1228年)は、中国南宋代の官僚・著述家。北宋太宗の八世孫にあたる。玄祖父は英宗の実弟の趙宗治。高祖父は趙仲忽。

孝宗治世下の乾道6年(1170年)に台州天台県に生まれた[1]慶元2年(1196年)に進士に合格し、慶元6年(1200年)に湘潭県県令に任じられる。嘉定9年(1216年)に臨安府通判、嘉定16年(1223年)に南剣州知府、嘉定17年(1224年)に福建路の提挙市舶司を経て、宝慶元年(1225年)に泉州市舶司として着任。

趙汝适は泉州の市舶司に在任中、アラビア商人などから地理・風土・物産に関する海外情報を収集して、上下2巻の地誌諸蕃志』を著した。

脚注編集

  1. ^ 泉州市地方志编纂委员会编 (2000-5). 泉州市志. 北京: 中国社会科学出版社. pp. 第一章 人物传. ISBN 7-5004-2700-X. http://www.fjsq.gov.cn:88/showtext.asp?ToBook=3222&index=4402&.