金武星
金 武星(キム・ムソン、김무성)は、大韓民国の政治家、国会議員(第15・16・17・18・19・20代)。
金武星 김무성 | |
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金武星 | |
生年月日 | 1951年9月20日(73歳) |
出生地 | 慶尚南道釜山市龍塘洞(現・釜山広域市南区龍塘洞) |
出身校 | 中東高等学校 漢陽大学校 |
所属政党 |
(統一民主党→) (民主自由党→) (新韓国党→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (正しい政党→) 自由韓国党 |
サイン | |
公式サイト | 김무성 홈페이지 |
選挙区 |
(釜山広域市南区乙選挙区→) (釜山広域市影島区選挙区→) 釜山広域市中区・影島区選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1996年5月30日 - 2012年5月29日 2013年4月25日 - 2020年5月29日 |
その他の職歴 | |
セヌリ党代表最高委員 (2014年7月14日 - 2016年4月14日) |
概説
編集金泳三に師事して政界入りした。ハンナラ党(朴槿恵大統領の政権与党だったセヌリ党の前身)の院内代表や非常対策委員長などを務めた。2012年韓国大統領選挙では、セヌリ党の選挙対策委員会総括本部長を務め、朴槿恵の当選に貢献。2014年7月に行われたセヌリ党全党大会で第2代目の党代表に選出[1]されたが、2016年4月に行われた総選挙においてセヌリ党が第1党から転落する惨敗を喫した責任を取って代表を辞任した[2]。崔順実ゲート事件を理由とした朴槿恵大統領に対する弾劾訴追案では大統領と距離を置く「非朴派」の重鎮として弾劾訴追を主導[3]。同年12月に弾劾訴追案が可決された事をきっかけにセヌリ党を離党して新党・正しい政党の結成に参加した[4]。自由韓国党(セヌリ党が2017年2月に党名変更)が2017年11月3日に朴槿恵を除名した後の11月6日に正しい政党を離党し、自由韓国党に復党。議員引退後は国民の力常任顧問。2022年8月に民主平和統一諮問会議首席副議長内定者に選ばれるも、9月に固辞した[5]。
父親は実業家で元国会議員の金龍周、妻は明知大学校文化芸術大学院の教授で元国会議員の崔致煥の娘[6]、息子は映画俳優のコ・ユン[7]。また、龍文学園理事長の金文姫は姉、日本統治時代の銀行家の玄俊鎬の息子である実業家の玄永源はその夫、玄貞恩は姪である[6]。
来歴
編集- 生年月日:1951年9月20日
- 出生地:慶尚南道釜山市龍塘洞(現 釜山広域市南区龍塘洞)
- 本貫:金海金氏[8]
- 学歴
- 選挙区と所属政党
- 国会所属委員会
- 第15代国会:建設交通委員会、予算決算特別委員会、財政経済委員会、農林海洋水産委員会委員
- 第16代国会:国会運営委員会、法制司法委員会、行政自治委員会委員
- 第17代国会:財政経済委員会委員長、統一外交通商委員会委員
- 第18代国会:運営委員会委員長、国防委員会、法制司法委員会、情報委員会委員
- 党職など
- 企業団体の役員
- 任命職
- 第13代大統領選挙対策本部財政局長
- 第14代大統領職務引継ぎ委員会行政室長
- 大統領秘書室世論収拾担当民政第2秘書官
- 第48代内務部次官
- 出典:“김무성(金武星)”. 大韓民国憲政会. 2014年7月17日閲覧。
エピソード
編集釜山出身で選挙区も釜山であるが、浦項郷友会の行事に参加し、浦項人と自称したことがある。なお、長兄も初代浦項郷友会長を務めた[9]。
2009年10月5日、国会国防委員会の国政監査会場に発熱後に水蒸気がものすごく噴き上がるという欠陥のある戦闘食のパックを持ち込み、その場で開封した。その後は納品過程に不正または開発過程に瑕疵がある可能性を指摘した[10]。
2016年の第20代総選挙の前、セヌリ党代表であるにもかかわらず、一部の「親朴派」の同党候補者の公認推薦状に代表職印の押印を拒否したという特異な事件を起こした。メディアでは「玉璽闘争」「玉璽波動」などと呼ばれる[11][12][13]。
2016年にドナルド・トランプが米国大統領に当選した際、その14年前に家を「トランプタワー」に引っ越ししたことを取り上げて、「14年前にトランプが当選したことを予想した」と表現した[14]。
2020年の第21代総選挙の後、極右系のYouTuberたちを選挙の敗因の1つとして取り上げ、「腐った奴ら」と評した[15]。
脚注
編集- ^ “セヌリ党新代表に非主流派の座長 金武星氏”. KBSワールドラジオ. (2014年7月14日) 2014年7月16日閲覧。
- ^ “韓国与党代表が辞任表明 総選挙大敗で引責”. 聯合ニュース. (2016年4月14日) 2016年8月13日閲覧。
- ^ “非朴派の金武星・与党前代表「弾劾の先に立つ」 大統領選出馬断念し”. 産経ニュース. (2016年11月23日) 2017年2月4日閲覧。
- ^ “与党非主流派29人が離党と新党結成宣言 4党体制に=韓国”. 聯合ニュース. (2016年12月27日) 2017年2月4日閲覧。
- ^ 홍준석 (2022年9月9日). “김무성 "평통 수석부의장 제의받았지만 여러상황 감안해 고사"” (朝鮮語). 연합뉴스. 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “김무성의 집안…적산기업 불하 받아 전남방직 만들어” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2015年7月31日). 2023年8月21日閲覧。
- ^ “연예인 자녀를 둔 정치인 이 사람” (朝鮮語). KBS 뉴스 (2015年1月6日). 2022年7月17日閲覧。
- ^ “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月12日閲覧。
- ^ “김무성 대표 “고향발전 위해 최선의 노력 다하겠다”” (朝鮮語). 경북매일 (2015年1月18日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ “국방위 김무성 의원 "연기나는 전투식량 먹다 총 맞을 수 있다"” (朝鮮語). 한국경제 (2009年10月6日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ “이준석 부산행, 김무성 '옥새 파동'과는 다른 이유” (朝鮮語). 이데일리 (2021年12月1日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ “김무성 대표 옥새 투쟁 왜?” (朝鮮語). KBS 뉴스 (2016年3月25日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ 정환보 (2016年4月19日). “‘옥새파동’은 끝나지 않았다…‘법정 소송’ 비화한 김무성 날인거부” (朝鮮語). 경향신문. 2023年9月15日閲覧。
- ^ 한영혜 (2016年11月10日). “[영상 김무성 “사실 14년 전 트럼프 당선 예상했다”]” (朝鮮語). 중앙일보. 2023年9月15日閲覧。
- ^ “[영상] 극우 유튜버를 향한 김무성의 직설, “전부 썩은 놈들이야”” (朝鮮語). 한국일보 (2020年5月13日). 2023年10月26日閲覧。
外部リンク
編集党職 | ||
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先代 李完九 (非常対策委員長) |
セヌリ党代表最高委員 2014年7月-2016年4月 |
次代 元裕哲 (代行) |