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長弓寺(ちょうきゅうじ)は奈良県生駒市上町にある真言律宗寺院である。山号は真弓山、本尊十一面観音、開山は行基と伝える。国宝の本堂は鎌倉時代密教仏堂の代表作として知られる。

長弓寺
Chokyuji Ikoma Nara Japan09s3.jpg
本堂 (国宝)
所在地 奈良県生駒市上町4443
位置 北緯34度43分6.8秒
東経135度43分35.7秒
座標: 北緯34度43分6.8秒 東経135度43分35.7秒
山号 真弓山
宗派 真言律宗
本尊 十一面観音重要文化財
創建年 不明
開山 行基
札所等 大和十三仏霊場第9番
文化財 本堂(国宝
木造十一面観音立像、黒漆厨子(重要文化財)
法人番号 8150005002267
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伊弉諾神社
境内
本堂細部
本堂平面図

歴史編集

長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない。『長弓寺縁起』によると神亀5年(728年)、鳥見郷の豪族である小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)が聖武天皇]に随行して狩りに出た。同行していた長弓の息子・長麻呂が不思議な鳥が飛び立つのを見て矢を放ったところ矢は誤って長弓に当たってしまい、長弓は亡くなってしまった。不運な長弓父子を哀れんだ聖武天皇は僧・行基に命じて一寺を建立させた。行基は十一面観音像を安置してこれを本尊としたという。十一面観音像の頭頂には仏面が乗っているが、これは聖武天皇の弓を刻んだものだという。なお「鳥見(登美)」は長弓寺の位置する生駒山東麓を指す古い地名で、神武天皇東征神話にも登場する。現在の奈良市西部から生駒市にあたる。

その後、桓武天皇737年 - 806年)の時代に藤原良継716年 - 777年)が再興したという。しかし、桓武天皇の即位は良継没後の天応元年(781年)であるので時代的に合わない。別の伝承では平安時代初期に藤原緒継774年 - 843年)によって創建されたともいう。

空海は当寺を訪れた際に善女龍王を感得したという。平安時代後期には堀河天皇が伽藍を修復して大般若経六百巻を施入している。

以後、中世までの沿革はあまりはっきりしていないが現在の本堂は棟木銘から弘安2年(1279年)の建立であることが明らかで真言律宗の祖・叡尊1201年 - 1290年)によって再興されたものである。

室町時代応仁の乱の際には西軍の山名宗全方の落人が乱入して重宝を破壊し、戦国時代には織田信長によって寺領が没収されている。

盛時には塔頭が20院あったとされるが、明治時代の廃仏毀釈の影響により、現在は4坊が残るのみである。

長弓寺の境内東側にある伊弉諾(いざなぎ)神社は明治の神仏分離以前は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれ、寺伝では聖武天皇が長弓寺の鎮守社として建てさせたものという。長弓寺の参道入口に鳥居が立つことからもうかがえるように、近世以前は神仏混交の信仰が行われていた。

境内編集

境内奥に国宝の本堂が建ち右側(東)には伊弉諾神社、薬師院、左側(西)には円生院、法華院、南には宝光院地蔵堂がある。長弓寺本寺には住職がなく、薬師院、円生院、法華院の3つの塔頭が輪番制で本堂を護持している。この3つの塔頭は宿坊を営業し、精進料理を提供している。

  • 本堂(国宝)
入母屋造檜皮葺、桁行(正面)5間、梁間(側面)6間の密教仏堂である(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す用語)。棟木に弘安2年(1279年)棟上の銘があることから、同年に建物の骨格ができ、その数年後に竣工したとみられる。和様を基調にしつつ扉(桟唐戸)・頭貫(かしらぬき)の木鼻(用材の端部に装飾彫刻を施す)の意匠などには大仏様を採り入れるなど鎌倉時代の新和様の典型的な建築といえる。内部は手前の梁間3間分を外陣(げじん)、その奥を内陣とし、内陣と外陣の境は透格子で結界する。礼拝空間である外陣を広く取っているのが特色である。外陣部分は梁間3間に亘る長大な虹梁(こうりょう)を架け渡す。虹梁の下は、正面から1間内側の位置には柱を立てるが、その奥は柱を省略し、虹梁上に蟇股(かえるまた)を置いて荷重を支えている(平面図参照)[1]
  • 三重塔跡
長弓寺にはかつて鎌倉時代建立とされる三重塔があったが再度の移転の末、現在は初層部分のみが東京都港区グランドプリンスホテル高輪に移築されている。1934年昭和9年)の室戸台風で長弓寺は本堂の屋根が大破するなどの大きな被害を受けた。寺では修理費用捻出のため、三重塔を売却することとなった。なお三重塔の二層・三層は早くに失われており、当時すでに初層のみが残っている状態であったらしい。塔はいったんある実業家の所有となって鎌倉市に移築された後、1954年(昭和29年)に品川プリンスホテル(後に高輪プリンスホテル、現・グランドプリンスホテル高輪)庭園内に移築され「観音堂」と称されている。同ホテルには他にもと長弓寺にあった門と鐘楼も移築されている。
  • 真弓塚
寺の東方1kmほどのところにあり、小野長弓の塚とも聖武天皇の弓を埋めたところとも伝える(伝承では聖武天皇の弓の一部を使って、本尊十一面観音の頭上の仏面を刻んだとされている)。

文化財編集

国宝編集

  • 本堂

重要文化財編集

  • 木造十一面観音立像
本堂の本尊として黒漆厨子に安置されている平安後期の一木造の像で、目のつり上がった個性的な面貌や奥行きのある体躯などに古様が残る。
  • 黒漆厨子

その他編集

  • 木造十一面観音立像
松の一木から彫り出された鎌倉時代の像で、慶派仏師の流れをくむ康俊(こうしゅん)・康成(こうぜい)親子の作と考えられる。

アクセス編集

脚注編集

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  1. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』7号(朝日新聞社、1997)、pp.216 - 217

関連項目編集

外部リンク編集