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長門鉄道(ながとてつどう)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)山陽本線小月駅より分岐して西市駅までの18.2kmを結ぶ鉄道路線を有していた鉄道事業者である。

長門鉄道
往年の長門鉄道
往年の長門鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:小月駅
終点:西市駅
駅数 11駅
運営
開業 1918年10月7日 (1918-10-07)
廃止 1956年5月1日 (1956-5-1)
運営者 長門鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 18.2 km (11.3 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STRq
国鉄山陽本線
exSTR+l
0.0 小月
exBHF
0.5 長門上市 -1942?
exBHF
4.2 下大野
exBHF
6.2 上大野
exBHF
7.2 田部
exhKRZWae
田部川
exBHF
7.9 岡枝
exBHF
9.3 込堂
exBHF
11.7 西中山
exBHF
14.7 石町
exBHF
16.3 阿座上
exKBHFe
18.2 西市

企業自体は、1942-1949年の間に戦時体制に基づく交通統制のため、下関市における路面電車を運営していた山陽電気軌道に統合されていた事があったが、1956年(昭和31年)に鉄道路線を全廃した後もバス会社となって1975年(昭和50年)まで残り、山陽電気軌道から社名を改めたサンデン交通に再合併された。なお、東下関駅 - 小串駅を建設し、幡生 - 小串は現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線西端に、残区間が山陽電気軌道の路線の一部(幡生線)になった長州鉄道とは、直接の関係はない。

沿革編集

保有路線編集

もともと、西市からの木材輸送を目的に建設されたのが同線である。そのため、鉄道省線(国鉄)との貨車直通を考慮し、軌間は1067mmを採用していた。

最盛期は、年間100万の旅客利用があったともいわれるが、戦後混乱期を脱した1950年代前期には、当時急激に発達したバス輸送への利用移転が顕著になって旅客減少が始まったことから、いち早く転換し、廃止された。

路線データ編集

  • 路線距離:小月-西市間18.2km
  • 駅数:11駅(起終点駅含む)
  • 軌間:1067mm
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 動力:蒸気内燃

車庫、工場は小月、給炭水設備は西市

運行概要編集

1934年12月1日改正時編集

  • 旅客列車本数:小月-西市7往復、小月-岡枝1往復
  • 所要:全線50-57分

廃止時編集

  • 列車本数:旅客および混合列車9往復
  • 所要:小月 - 西市約50分

駅一覧編集

開業時[3]

  • 小月駅 - 長門上市駅 - 上小月駅 - 下大野駅 - 上大野駅 - 田部駅 - 岡枝駅 - 込堂駅 - 西中山駅 - 石町駅 - 阿座上駅 - 西市駅
  • 1919年11月1日に阿座上、上小月停留所廃止[7]。1928年4月に阿座上が復活[5]

なお、駅以外の場所でも乗降を行ったことがあるとされる。

接続路線編集

輸送・収支実績編集

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1918 188,342 14,445 45,849 35,124 10,725 406 29,873
1919 286,565 23,753 86,327 64,197 22,130 4,076 24,379 8,360
1920 281,170 28,504 109,445 73,388 36,057 雑損197 24,920 3,634
1921 291,528 34,830 125,222 71,929 53,293 8,545
1922 289,707 32,306 120,501 70,425 50,076 13,257
1923 277,021 35,359 119,892 77,905 41,987 雑損4,756 22,211 18,994
1924 278,209 36,075 116,372 84,229 32,143 雑損8,691 22,913 24,989
1925 278,209 36,075 116,372 84,229 32,143 雑損8,691 22,913 24,989
1926 297,888 33,088 113,430 89,913 23,517 雑損114 23,456 31,425
1927 326,652 35,740 116,706 92,059 24,647 23,081 31,540
1928 336,459 40,006 122,815 93,050 29,765 22,191 28,501
1929 346,889 41,881 126,067 79,985 46,082 21,023 6,576
1930 348,855 36,852 119,164 75,104 44,060 20,118
1931 312,255 25,509 97,123 65,681 31,442 19,227
1932 257,289 23,652 81,419 54,594 26,825 雑損300自動車101 18,492
1933 256,386 22,977 78,030 43,868 34,162 雑損14,711自動車1,007 17,841
1934 262,675 25,443 80,598 43,250 37,348 自動車3,060 16,583
1935 231,374 24,804 78,341 55,103 23,238 自動車6,751 14,301
1936 314,419 41,798 124,136 77,262 46,874 雑損16,818自動車8,022 21,253
1937 249,081 29,227 91,393 62,099 29,294 自動車5,260雑損3,089償却金22,000 11,311 12,346
1939 324,346 35,867
1941 525,010 55,677
1943 805,458 55,615
1945 986,939 36,475
1952 720,542 28,017
1955 559千 17,015
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、私鉄統計年報各年度版

車両編集

開業当時編集

蒸気機関車2両(101, 102。鉄道省1045形と同形)、客車4両、貨車7両

技師長が長州鉄道と兼務だったため、同形の車両を採用した。

大正末年編集

蒸気機関車3両、客車5両、貨車27両

山陽電気軌道より分離時編集

蒸気機関車8両、ガソリン動車3両、客車5両、貨車50両

廃止時編集

蒸気機関車2両、ディーゼル機関車高田機工製1954年竣工届[8])1両、ディーゼル動車3両、客車1両、貨車14両

車両数の推移編集

年度 機関車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1918 2 4 7 8
1919-1920 2 4 7 13
1921 2 4 12 13
1922 3 4 12 18
1923 3 4 12 23
1924 3 4 12 18
1925 3 4 12 18
1926-1927 3 5 12 18
1928 3 1 5 12 18
1929-1936 3 2 5 12 18
1937 2 3 5 12 18

逸話編集

鉄道趣味者の湯口徹は、長門鉄道廃止後の後年に訪問した、近隣の防石鉄道の関係者から次のような逸話を聞いているという。

1956年の長門鉄道線廃止に際し、同線の新旧車両が余剰となることから、山口県内の近隣小私鉄同士での付き合いがあった防石鉄道、船木鉄道の職員らが長門鉄道を訪れ、善後策を協議していた。そこへ当時の西日本でも気動車保有最多の有力私鉄であった滋賀県江若鉄道の担当者が、やはり余剰車買い付けの目的で来訪した。ところがその際、江若の担当者は、大手風を吹かせ、山口県の小私鉄各社の社員たちを大いに立腹させるほど傲慢な振る舞いを見せた模様である。

江若は当時の長門鉄道車でも最大でピカ一と言える存在だった元国鉄キハ42000形42017号の払い下げ再生ガソリンカー・キハ11を、長門鉄道自社発注の小型ガソリンカー・キコハ1共々購入することになった。長門、防石、船木の3社社員は江若への腹いせのため、キハ11を江若側に引き渡しする直前に集まって、エンジンを在庫したスペアでも最悪の廃物にすりかえる交換作業をやってのけ、素知らぬ顔で江若に引き渡して3社で祝杯を挙げたという[9]

脚注編集

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  1. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコパブリッシング、2004年267頁
  5. ^ a b 『鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「鉄道譲渡」『官報』1942年11月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「地方鉄道停留場廃止」『官報』1919年11月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 湯口徹『瀬戸の駅から(下)』プレスアイゼンバーン、1992年、111頁
  9. ^ 湯口『瀬戸の駅から(下)』120-121頁。湯口によれば、江若は同車をディーゼルエンジンに換装することが予定されていたため、3社社員らは廃物ガソリンエンジンを押し付けても取引上問題にならないことを計算に入れていた模様である。

参考文献編集

  • 今尾恵介(監修)『中国・四国』新潮社〈日本鉄道旅行地図帳〉、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6
  • 谷口良忠「山陽電気軌道」『鉄道ピクトリアル』No. 2121968年7月号臨時増刊:私鉄車両めぐり9、1968年、 pp. 96-106。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。

外部リンク編集

  • 長門鉄道株式会社運輸課編『長門鉄道案内』大正11年、国会図書館デジタルコレクション 時刻表、路線図、旅客運賃表、名勝案内など