院派
平安時代後期から室町時代の仏師の一派
院派(いんぱ)は、平安時代後期から室町時代の仏師の一派。七条大宮仏所、六条万里小路仏所を形成し、足利将軍家の仏師となった。祖は、定朝の孫とされる院助。
沿革編集
鎌倉時代、新様式と言う点では慶派の作品が目立つが、記録によると貴族の世界では院派、ついで円派の仏師が前代からの基盤を受け継いで活躍した。ただし、旧来の伝統を引いて、仏像に銘記を施す例が慶派に比べて少なく、仏師個人の作例を追っていくことが比較的難しい。
14世紀に入ると、真言律宗や禅宗との関わりが生まれ、律宗が東国に教線を伸ばし、禅宗が北条氏の菩提寺になるのに従い、院派も東国へ進出した。
南北朝時代に入ると、室町幕府といち早く結びついた。院吉は、等持院大仏師職と丹波国国分寺地頭職を安堵され、その子院広はそれを継いで広範に活躍した。彼らの作風は、「唐様」とも言うべき独特の形式美をもつもので、他派や後世に少なからぬ影響を与えた。
名前の由来編集
名に院のつく仏師を多数輩出したことから。