韓陰
韓陰または韓陶(かんいん、? - 紀元前89年)は、衛氏朝鮮の国家運営にあたった4人の合議メンバー(朝鮮相路人、朝鮮相韓陰、尼谿相参、将軍王唊)の1人[1]。官職は朝鮮の宰相[1]。
韓陰 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 한음 |
漢字: | 韓陰 |
日本語読み: | かんいん |
2000年式: MR式: |
Han Eum Han Eum |
概要
編集武田幸男は、「路人と韓陰は朝鮮の『相』、王唊は朝鮮の『将軍』であり、おのおの文事と武事を分担したとおもわれるが、そのなかに王・韓二姓がみえる。かれらは有力な亡命者、または亡命者ゆかりの人物だったとおもわれる」と述べている[1]。また、三上次男も、韓陰の「韓」という姓氏から、主人である朝鮮王衛右渠と同じく、中国系の人物であることを指摘している[2]。
衛氏朝鮮の政治を担当していた[1]。
紀元前109年から紀元前108年、前漢が衛氏朝鮮を討伐するために攻撃してくると、4人の合議メンバーのうち、朝鮮相路人、将軍王唊の中国からの亡命者あるいはそのゆかりの人物と一緒に朝鮮王の衛右渠を残したまま早々に降伏した[3]。降伏後、前漢から荻苴(てきしょ)侯に封じられたが、子孫がないまま、19年目に死亡した[4]。
脚注
編集- ^ a b c d 礪波護・武田幸男 1997, p. 267
- ^ 『漢書>朝鮮傳>古朝鮮>左將軍이 이미 두 군대를 합병한 뒤』国史編纂委員会 。
- ^ 礪波護・武田幸男 1997, p. 268
- ^ 礪波護・武田幸男 1997, p. 269
- ^ 전진국 (2020). “위만조선과 낙랑의 성씨” (朝鮮語). 한국계보연구 10: 10–50. ISSN 2093-9825 .
- ^ 甘懐真 (2009年6月). “東北亞古代的移民與王權發展:以樂浪郡成立為中心” (PDF). 成大歷史學報 (国立成功大学) (36號): p. 89. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。
参考文献
編集- 礪波護、武田幸男『隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社〈世界の歴史 6〉、1997年。ISBN 978-4124034066。