馬田 一(ばだ はじめ、1948年(昭和23年)10月7日 - )は、日本の実業家JFEホールディングス元社長。日本鉄鋼連盟第12代会長、世界鉄鋼協会会長を歴任。

人物 編集

兵庫県芦屋市出身。麻布高等学校卒業。1973年に東京大学大学院工学系研究科冶金学専攻)修士課程を修了し、川崎製鉄に入社。

技術畑出身で、川崎製鉄では主に千葉や水島で製鉄所の製鋼部門を担当。本社では鉄鋼企画部、経営企画部など川鉄社長への登竜門となる企画部門を歩む。川鉄経営企画部長時代に大韓民国の鉄鋼メーカー現代ハイスコ東国製鋼とのアライアンス締結をまとめる。日本鋼管 (NKK) と川崎製鉄の経営統合協議では中核メンバーの一人として参加。JFEスチール専務時代は中国の広州鋼鉄企業集団と自動車用鋼板合弁事業「広州JFE鋼板」の設立などを手がける。

數土文夫の後を受け、2005年4月に56歳でJFEスチール第2代社長に就任。2006年5月には日本鉄鋼連盟会長となり、新日本製鐵(新日鉄)出身でない初の同連盟会長となる。

日本鉄鋼連盟会長の就任会見では、鉄鉱石亜鉛など鉄鋼製品の原料高騰に触れて「需要家さんに(鋼材の値上げを)お願いしないといけない」と表明。また連盟会員の神戸製鋼所がばい煙データ改ざん問題を起こしたことについて「コンプライアンス(法令順守)は基本的な課題で、遺憾」と述べている[1]

2010年4月1日、JFEホールディングス代表取締役社長に就任[2]。同年3月期の報酬が1億円を超えていたと報じられた[3]

趣味は旅行、テニス。

略歴 編集

  • 2000年:川崎製鉄取締役経営企画部長
  • 2003年:JFEスチール専務執行役員(企画担当)
  • 2005年:JFEスチール社長
  • 2006年:日本鉄鋼連盟会長
  • 2009年:世界鉄鋼協会副会長
  • 2010年:JFEホールディングス代表取締役社長
  • 2015年:JFEホールディングス代表取締役社長を退任。
  • 2016年:アサガミ監査役、三井化学取締役
  • 2018年:日本精工取締役

脚注 編集

先代
數土文夫
JFEスチール社長
第2代:2005-2010
次代
林田英治
先代
數土文夫
JFEホールディングス社長
第3代:2010-2015
次代
林田英治
先代
三村明夫
日本鉄鋼連盟会長
第12代:2006-2008
次代
宗岡正二