高枝王(たかえ の おう、延暦21年(802年) - 天安2年5月15日858年6月29日))は、平安時代初期の皇族桓武天皇の孫。中務卿伊予親王の次男。官位従三位宮内卿

経歴編集

大同2年(807年)に発生した伊予親王の変により、父・伊予親王の謀反の罪に連座し、兄弟とともに遠流となる。配流先では生計を立てることもままならず、生活は困窮を極める。伊予親王を廃した平城天皇に替わって即位した嵯峨天皇は、伊予親王は無実であったにもかかわらずその子息が困窮している事を哀れんだことから、弘仁元年(810年)高枝王は兄弟とともに恩赦を受け平安京への入京を許される。この際、没収されていた親王の財産・家土地も返還されたが、幼い兄弟は相談の上でこれを男女均等に分配する。これらのことは世の人々の涙を誘ったという[1]

淳和朝天長3年(826年)二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙される。

因幡守大舎人頭を経て、仁明朝にて承和8年(841年)従四位上、嘉祥2年(849年正四位下と昇進。文徳朝仁寿4年(854年)には従三位大蔵卿に叙任され公卿に列した。天安元年(857年宮内卿に転じるが、翌天安2年(858年)5月15日薨去享年57。最終官位は宮内卿従三位。財産を蓄えることがなく、薄葬を命じた遺言を残したという[1]

人物編集

度量の広い人物であった。空海に、沙良真熊に学ぶが、いずれも十分に会得するまでには至らなかったという[1]

官歴編集

六国史』による。

系譜編集

脚注編集

  1. ^ a b c 日本文徳天皇実録』天安2年5月15日条
  2. ^ 『系図纂要』

参考文献編集