807年(807 ねん)は、西暦ユリウス暦)による、平年

千年紀: 1千年紀
世紀: 8世紀 - 9世紀 - 10世紀
十年紀: 780年代 790年代 800年代 810年代 820年代
: 804年 805年 806年 807年 808年 809年 810年

他の紀年法 編集

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できごと 編集

  • 円仁空海坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。空海が日本に帰国した年がこの年と言われることも多いが、史実としてはっきりとしない。
  • 東北各地の神社の創建に関する年号はこの年とされる。茨城県の雨引千勝神社の創建はこの年である。早池峰神社、赤城神社なども同様である。また福島県いわき市の湯の嶽観音も、この年の3月21日に開基されたとある。清水寺長谷寺などの寺院までこの年に建てられたとされ、富士山本宮浅間大社も、大鳥居の前に堂々と大同元年縁起が記載されている。香川県の善通寺をはじめとする四国遍路八十八ヵ所の1割以上がこの年である。各地の小さい神社仏閣にいたるまで枚挙にいとまがないほど、大同2年及び大同年間はそれらの創建にかかわる年号である。
  • 那須連峰の茶臼岳旧火山の噴火、尾瀬ケ原の燧ヶ岳の噴火、蔵王刈田岳の噴火、秋田駒ヶ岳の噴火もこの年である。会津磐梯山の噴火は大同元年だが、その噴火を鎮めるために、大同2年に山麓に恵月守が建てられたといわれる。日光男体山で旱魃を静めるために勝道上人が祈祷したのもこの年である。三湖伝説で八郎太郎が大災害を起こすのもこの年である。
  • 山形県の肘折温泉に伝わる「温泉之縁起」史料の中に、大同2年あるいは大同年間に温泉が開かれたという記述がある。
「何らかの物事が起きた年」という意味合いがあるという人もいる。(「東北復興」2013年9月16日 第16号、2面)
  • 仙台藩士・佐藤信要が寛保元年(1741年)に記した『封内名跡志』では、長谷大悲閣(長谷観音)について坂上田村麻呂が建てた観音が至る所にあり、その観音は長谷寺のものを移したとあるものが多い、坂上田村麻呂が信仰したのは山城清水寺であるとして「事実を弁せず妄りに田村の建というは尤も疑ふべし」、馬頭閣(鱒淵観音)について田村麻呂東征の時にこの地を通過したことは正史旧記に見えないとし「尤も疑ふべし」と断じている。また江戸時代の安永年間(1772年 - 1781年)に相原友直が仙台藩の風土を記した『平泉雑記』の「田村将軍建立堂社」では、田村麻呂建立とされる仙台藩内の堂舎21ヶ所を挙げ、それらの観音は「大同2年」のものが多く、悉く信用が不足していると述べている。それらの記述を受けて1955年堀一郎は、研究対象の寺院の地区を東北地方に広げ、12社をあげ研究している[1]
  • 池上洵一は坂上田村麻呂の清水寺の事蹟に結びつけて論じている。坂上田村麻呂は藤原明衡の『清水寺縁起』では行叡から聖地の委譲を受けたのが778年、田村麻呂がその地で延鎮と邂逅し彼の話を聞き十一面観音を作り仮殿に安置し清水寺と号したのが798年桓武天皇御願寺となり社寺の施入を受けたのが805年で、妻の三善高子命婦が自宅の寝殿を解体し、その材木で社寺に仏堂を建てたのが807年(大同2年)である。しかし、中世では清水寺の建立が「大同2年」と説くのが一般化していた。謡曲の『田村』、『花月』、室町物語の『田村草子』では全て大同2年は清水寺の建立に関わる年号とされている。池上洵一は奥羽で各地に田村麻呂伝説が広がり、そこで謡曲の詞章を通して、この年号が奥羽の地に広がり、その後にいつのまにか清水寺との関わりを捨てて、単に田村麻呂に有縁の年号としてのみ機能するようになったのではないかとしている。例えば、十和田湖伝説では現在田村麻呂は登場していないが、『新選陸奥国誌』では十和田山青龍大権現の創設は田村麻呂としており、それが三湖伝説全体の年号を語る定型句として取り込まれていった可能性があるとしている[2]

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

  1. ^ 『我が国民間信仰史の研究(一)』収録「坂上田村麻呂の伝説」、堀一郎、創元社、1955年、p.657
  2. ^ 『修験の道 三国伝記の世界』、池上洵一、1999年、以文社、p.243-245

関連項目 編集