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高橋 外喜雄(たかはし ときお 1908年 - 1944年11月18日[1])は、日本の元アマチュア野球選手。東京都出身。

来歴・人物編集

早稲田実業在学中は、甲子園に6回出場[2]。春2回(1924年1926年)、夏4回(1923年1926年まで4年連続)出場し、準優勝2回(1924年春、1925年夏)の素晴らしい成績を残した。1924年は三塁手エースは、水上義信早稲田大学電通〉)で出場し[3]、翌年から投手で出場した[4][5]。1925年夏の決勝では、高松商宮武三郎本田竹蔵と対戦(他に三塁手・水原茂がいて優勝候補の筆頭に挙げられていた)し 、3-5で惜敗した。1926年夏は2回戦で静岡中学(現・静岡県立静岡高等学校)に敗れたが、敗戦後に静岡中の宿舎を訪れて各校の詳細なデータを渡し、同大会での同校の優勝に貢献したという逸話(第12回全国中等学校優勝野球大会の項も参照)も残っている。投法アンダースローだった。

1927年に早大に入学、大学野球でも投手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年11月18日ビルマナムカム野戦病院戦病死した[1]。享年36。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[6]

脚注編集

外部リンク編集