高羅 芳光(こうら よしみつ、1902年3月4日 - 1984年5月14日)は、日本経営者富士通社長、会長を務めた。山口県出身[1]

来歴・人物 編集

1929年慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に富士電機製造に入社[1]1947年富士通信機製造に転じ、1949年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1970年5月に社長に就任した[1]1974年11月から相談役を務めた[1]

1971年4月に藍綬褒章を受章し、1978年勲二等瑞宝章を受章[1]

1984年5月14日脳梗塞のために死去[2]。82歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1981, こ190頁.
  2. ^ 1984年 5月15日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献 編集

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第31版 上』興信データ、1981年。 
先代
岡田完二郎
富士通社長
1970年 - 1974年
次代
清宮博