鯨伏村

日本の長崎県壱岐郡にあった村

鯨伏村(いさふしむら)は、長崎県壱岐郡にあった村。1955年(昭和30年)に北隣[1]の勝本町と合併し、改めて発足した勝本町の一部となった。

いさふしむら
鯨伏村
廃止日 1955年2月11日
廃止理由 新設合併
勝本町、鯨伏村勝本町
現在の自治体 壱岐市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
壱岐郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,045
国勢調査、1950年)
隣接自治体 壱岐郡勝本町那賀村沼津村
鯨伏村役場
所在地 長崎県壱岐郡鯨伏村大字立石布気触823番地
座標 北緯33度48分21秒 東経129度41分25秒 / 北緯33.80586度 東経129.69014度 / 33.80586; 129.69014座標: 北緯33度48分21秒 東経129度41分25秒 / 北緯33.80586度 東経129.69014度 / 33.80586; 129.69014
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現在の壱岐市勝本町の南部にあたる。

地理 編集

壱岐島の北東部に位置する。

  • 山:神通の辻、火箭の辻、岳の山、本宮山
  • 島嶼:手長島、黒ヶ島、雪の島
  • 河川:御手洗川、刈田院川、二ノ坂川、坂様川
  • 港湾:湯ノ本湾、片苗湾

沿革 編集

平安時代中期に編纂された『和名類聚抄』によれば、壱岐島壱岐郡七郷の1つとして当村域の一帯を「鯨伏郷」と称したとされ、鯨伏村の名はこの郷名より名付けられた[2]。当村の大字立石仲触の小字として鯨伏(いそうし)の地名が存在するが、由来は不詳である[3]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、立石村・本宮村が合併し壱岐郡鯨伏村が発足。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月1日 - 沼津村との間の境界変更[4]
    • 2月11日 - 勝本町と合併して改めて勝本町が発足し、鯨伏村は自治体として消滅。

地名 編集

鯨伏村では大字(立石・本宮)を冠称した触・浦を行政区域とする[5]

大字立石
  • 上場触(うわば)
  • 仲触[6]
  • 西触[7]
  • 東触[8]
  • 布気触(ふけ)
  • 南触[9]
  • 湯野本浦[10]
  • 百合畑触(ゆりはた、ゆりばたけ)
大字本宮(ほんぐう)

名所・旧跡 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年2月1日
  2. ^ 『長崎県壱岐石田郡村要覧』鯨伏村 沿革
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「鯨伏」
  4. ^ 総理府告示第1155号「村の境界変更(壱岐郡沼津村と鯨伏村)」 官報.1954年12月27日
  5. ^ 勝本町との合併時に大字が廃止され、触・浦のみの表示となった。その際に一部の触・浦が改称している。
  6. ^ 勝本町との合併後、立石仲触に改称。
  7. ^ 勝本町との合併後、立石西触に改称。
  8. ^ 勝本町との合併後、立石東触に改称。
  9. ^ 勝本町との合併後、立石南触に改称。
  10. ^ 勝本町との合併後、湯本浦に改称。
  11. ^ 勝本町との合併後、本宮仲触に改称。
  12. ^ 勝本町との合併後、本宮西触に改称。
  13. ^ 勝本町との合併後、本宮東触に改称。
  14. ^ 勝本町との合併後、本宮南触に改称。

関連項目 編集