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黒田 一任(くろだ かずとお)は、江戸時代前期の筑前福岡藩大老三奈木黒田家の2代当主。

 
黒田一任
時代 江戸時代
生誕 慶長13年(1608年
死没 延宝2年1月12日グレゴリオ暦1674年2月7日
改名 玉松丸(幼名)→黒田一任、
涼慶(号)
別名 三左衛門(通称
墓所 福岡市博多区御供所町東長寺
主君 黒田忠之黒田光之
福岡藩
氏族 久野氏黒田氏三奈木黒田家
父母 父:久野重時、母:黒田一成
養父:黒田一成
兄弟 一任、久野一重
正室:小河之直
一貫

生涯編集

慶長13年(1608年)、黒田家家臣・久野重時の長男として生まれる。のち、外祖父の黒田一成の養嫡子となる。

寛永14年(1637年)に島原の乱が起こり、寛永15年(1638年)1月、幕府より出兵を命じられた藩主黒田忠之に従い、江戸より国元に戻り出陣する。2月28日の原城総攻撃において、黒田家は天草丸攻撃を担当し、負傷しながらも一番乗りの功名を立てた。寛永20年(1643年)、一成の隠居により家督を相続する。正保4年(1647年)6月、長崎にポルトガル船が来航した際、長崎港の警備に当たった。

寛文12年(1672年)、隠居して家督を一貫に譲り、涼慶と号した。延宝2年(1674年)1月12日死去。享年68。東長寺に葬られた。

参考文献編集